怪談心中

『怪談心中』はその名の通り、心中に纏わる話を核に構成された怪談集である。
なんとも明瞭なタイトルで、非常に語呂が良い。「心中」という括りもありそうでなかったコンセプトで、老舗旅館での体験談である一話目「感応」から遊郭跡地が舞台の「死にたがる男」まで、本書では全ての怪談が、というわけではないが、心中という現象に紐付いた怪談が多数収録された一冊となっている。
心中という言葉には情念・情死を即座に連想させる古風な響きがあり、先述の二編などはまさに情死の絡む怪談ではあるが、著者があとがきに触れたように、昨今では家庭内で介護や貧困の苦悩の末の心中のほうがより身近なものである。それら現代の負の側面を背負い込んだ心中死から、因果関係の判りかねる奇妙で不可思議な怪異、遠き地の海外怪談までレンジが広い。

丸山政也氏は『奇譚百物語』等のシリーズでお馴染みの作家だが、2021年に刊行された『信州怪談』以来の単著となる。
最近は『瞬殺怪談』シリーズ等の共著作が続いていたが、短く切れのある筆致は健在で、本作は丸山氏の、余剰を排しつつ(むしろそれによって)簡潔な表現から抒情性を匂い立たせるベテラン作家の筆力を存分に感じられた。
怪談の書き手が増える中で、筆者を含め若手作家は独自性の追求や既に確立された表現の刷新に注力しがちだが、「そうそう、怪談本の良さってこんな感じだったよね」とほくそ笑んでしまう安定感があるといえばいいのだろうか。仕立ての良いスーツのように端正な怪談集で、思わず襟を正してしまう。

『赤ら顔』『山ガール』のような、ごく短く奇妙な話の「抜け感」も良いのだが、筆者としては丸山氏といえば海外怪談でしょう、という認識がある。
海外在住経験がある丸山氏はこれまでも多くの海外怪談を紹介しており、特にヨーロッパ方面に強い。本書では『剣』『クリスマスカード』『鼻唄』などはそれにあたる。
さらに言えば、外国籍の人種や宗教が異なる人々がその文化圏で体験した話と、日本人が出張や観光で滞在した先の国での体験が語られる異邦人目線の怪談の二種類があり、それらが多地域の怪談と共に並立されることで、人によっては「怖くない」と受け取られがちな海外怪談を、「怖さ」の幅を持たせてより重層的なものにしている。

異邦人目線の怪談としては『ビルボード』が奇妙ながらも秀逸で、海外という、言語も気候も街並みも全てが異なる場所にいるという身体感覚特有のバグとでもいうのだろうか。海外という勝手知らぬ土地だからこそ、違和感に気づけないままでいる心性が作用している話で、我々が日々使っている知覚・五感にとっては、海外という場所もひとつの異世界なのだろうという気がしてくる。

『ブラジルの少年』は邦人によるブラジル滞在時の体験が語られているが、路地裏でサッカーに興じる少年たち、ギャングになり凄惨な死を遂げる若者、というモチーフは怪談の舞台となったブラジルのステレオタイプなイメージに結び付き、海外らしさが存分に感じられる魅力がある。それと同時に、その地域の負の側面——治安の悪さと暴力性が滲むがために、作中で描写された予言の絵の生々しさは、日本人が身近に感じられない類の陰惨さ、共感できず理解しがたい気持ちの悪さとして迫ってくる。紛れもなく海外怪談の傑作だ。

海外怪談を読む時、我々の他文化圏に対する偏見に満ちた期待と、どうか震え上がれるほどの酷い話であってくれという下卑た心持ちというものに気づかされる。国や地域によっては、経済的優劣や、植民地支配に根差した勾配があり、それは時に暴力的である。

そういった自戒のような気持ちを頭の隅に置いてしまうが、日本国内で体験された心中その他の怪談の、身体の内側に底なしの穴を掘っていくような暗い話も一冊の本でするりと味わえてしまうのが『怪談心中』である。
喉越しの良い文章で読まされる怪談が、時にもっともおぞましい。

卯ちり
2019年より実話怪談の執筆と語りの活動を開始。
最近はオープンマイクの怪談会や怪談に的を絞った読書会を不定期に開催している。
共著に『秋田怪談』『実話奇彩 怪談散華』(いずれも竹書房怪談文庫)等。

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