里沼怪談

〈里沼〉とは、〈里山〉から想を得た造語で、人里近くにあり、漁業などの生業や魚釣りなどの遊び場として人々に親しまれてきた沼、武士の時代には壕として機能するなど、生活に密着し、歴史文化を育んできた沼のことだという。

(まえがきより)

群馬県出身在住で、これまでに群馬県内外の様々な怪談を紹介してきた戸神重明氏が据えた今回のテーマは「里沼」である。
山や海の怪談は怪談のジャンル分けとしてお馴染みだが、「沼」怪談しばりというのは意表を突かれた。
しかし、「沼」とひと口に言っても厳密な定義は難しい。
池や湖と分類されるものと沼には明確な違いはなく、地域によって沼と名のつく止水の数にばらつきがあるそうだ。
著者の戸神氏曰く、西日本は池と呼ばれる止水が多い傾向にあるため掲載されている怪談は東日本が中心で、舞台となる沼は「里沼」ゆえ、山奥の誰も知らない場所にあるわけではなく、人々の生活に接点があるものに限られる。
ちなみに、「里沼」という言葉は、魅力的な沼を多数有する群馬県館林市が町おこしのために生み出した言葉であり、そういった意味で『里沼怪談』は群馬県人の戸神氏らしい着想で書かれている。

さて、沼に纏わる怪談はどのようなバリエーションがあるのかと読み進めてみると、沼に出現するこの世ならざる存在の多さに驚く。
かれらは沼の水面に突如として現れ、沼の深さはお構いなしに、水面の上に直立している。
波や水飛沫を上げすに移動したり、異能を発揮することも可能らしい。
たとえば印旛沼が舞台の『外来魚ハンター』に登場する大男は何の前触れもなく沼の真ん中に現れて、四股を踏むように水面を踏みつけると、仮死状態の魚がぷかぷかと浮かび上がってくる。
『赤い夜』に登場する着物の女は、赤城大沼の水面に立ち、激しく踊る。
怪異描写は実に鮮やかで、これらの怪談を読むと、水場そのものが意志を持って「ヌシ」たる存在を召喚している印象を受ける。
そして沼に溜まり続ける水そのものがその土地の記憶を保有し、過去の歴史を蜃気楼のように怪異として顕現させるのでは……? と思わずにいられない。
本書では歴史に思いを馳せる怪談が多いのも特長で、渡良瀬遊水地が舞台の『お化け沼』では、体験者は道に迷い、鋤や鍬を持つ野良着の人々に出会う。
彼らは明らかに昔の人だろうと思わせる出で立ちだが、著者考察によると、遊水地の造成のために廃村となった谷中村の住人と解釈されている。
この話は足尾銅山の鉱毒問題によって生まれた経緯がある遊水地ゆえの怪談だが、里沼によって紐解かれる地誌が各話に散りばめられているのも興味深い。

それ以外にも、『獣人の沼』のツキノワグマ獣人であったり、『どん底の紅蓮華』のアクロバティックな動きをする小さな男や『慮外者』のザリガニ等々ユニークな存在が多数登場するが、冒頭一話目の『融けない雪』を最恐作として挙げたい。
蕪栗沼でかき集めて瓶詰めした雪がいつまでも融けず、瓶の中では魚や虫も死なずに動き回っていて、その瓶は自宅に飾られている。
何か呪術めいた仕掛けがされているようだが、体験者にはそれが何なのかわからず仕舞いのままで謎の多い話なのだが、「里沼」を冠した怪談の中では異色である。
呪術が恐ろしいのか、雪を集めた沼の磁場が特殊なのか、それとも沼の雪に混じる生き物が重要なのか……。
怪談として考察しがいのある話だが、分かりそうで分からない気味の悪さが印象に残る。

沼には土地に根付いた歴史があり、時には神聖視され、時には忌み地となる。
様々な動植物が生息しているゆえ、絶滅危惧種が棲んでいれば保全されるし、外来種が殖えれば生態系は破壊される。
ヒトと自然のあわいの場である「里沼」は、この先も多数の怪談が生まれやすい場所なのだろう。
今後も「沼」の怪談が豊作となり、著作が増えていくことを願う。

卯ちり
2019年より実話怪談の執筆と語りの活動を開始。
最近はオープンマイクの怪談会や怪談に的を絞った読書会を不定期に開催している。
共著に『秋田怪談』『実話奇彩 怪談散華』(いずれも竹書房怪談文庫)等。

関連記事

TOP