ドラ

前回のエッセイを読んでくれた方であればいかに怪談蒐集が難しく、まして上質な怪談ともなるとそうそう集まらないものであるということが伝わっているかと思う。
これは僕自身が現在住んでいるマンションに越してきてまだ間もなかった頃の体験談だ。

「そろそろ広い部屋に引っ越すか」と、それまでの大阪での狭いワンルーム生活を脱した僕と奥さんは、神戸市内のファミリー向けマンションに新たな住まいをかまえた。
新居ではそれまで使用していたシングルベッドを廃棄し、新しく購入した二人用の広めのベッドで奥さんと二人眠っていた。
玄関を入った廊下のすぐ右手の部屋を寝室として使っていたのだが、寝室の位置がマンションの外廊下に面しているので窓を開けると夏場でも風が入り涼しい、というのが主な理由だ。
入居してからしばらくは快適に過ごしていたのだが、ある時期から僕と奥さんの安眠は妨げられるようになった。
深夜二人で眠っていると——

『バガアァァァンッ!!!』

という、まるで何かが爆発するような轟音が部屋に鳴り響くのだ。
銅鑼ドラ」を力いっぱい打ち鳴らすような強烈なあの音が、静まり返った深夜の部屋で突如鳴るのだから、心臓が飛び出るほど驚いた。
「なに!? なに!! 今の!!」
「爆発!? 爆発した!? ガス!?」
混乱しながらも家中の電気をつけて異変を探し回るのだが、音の出どころが分からない。
空耳ではないにせよ原因が分からない。
しばらく家の中をうろうろとした後、諦めて電気を消しまた布団に潜り込む。
時刻は深夜二時を過ぎている。
もう一度うとうととし始めた頃——

『バガアァァァンッ!!!』

またも部屋中にドラが鳴り響く。
「ワアアァッ!」
叫びながら二人同時に跳ね起きる。
強烈なドラの衝撃に心臓がバクバクと脈を早める。
「なんなのぉ……」
理由の分からない深夜の爆音。
半ベソをかきながら二人して家中を見て回るが依然異変は見つからなかった。
その日から、〈深夜になると爆音でドラが鳴る〉という謎の現象に頭を悩ませることとなった。
毎日というわけではないが週に2、3度は深夜にドラが鳴る。
一度鳴り始めると朝になるまで不規則にドラは鳴り続ける。
その度に叩き起こされ「なんなのぉこれぇ……」と泣きそうになりながら震えていた。
相変わらず原因は不明。
完全にポルタ―ガイスト現象である。
当然のごとく睡眠は削られ、〈今日もドラが鳴るかもしれない〉という意味不明な恐怖を感じながら布団に入るようになった。
いつ襲い来るやもしれないドラに怯える毎日。
このままでは精神を壊される。
とにかく原因を突き止めようと、躍起になってネットの検索窓に単語を叩き込む。

〈ドラ 深夜 鳴る〉
〈ドラ ポルターガイスト〉
〈ドラ 夜中 騒音〉
〈ドラ 爆発〉

あらゆる可能性を考えて検索をしたが、依然原因は判明せず頭を抱える日々が続いた。
しかしそんな中でも引っかかった用語があった。
頭内爆発音症候群——。
眠りにつく瞬間、突然頭の中で大きな音が鳴り覚醒してしまうという病気である。
これは眠る直前の神経系の伝達が上手くいかないことによって、音が発生しているとされる。
深夜のドラの音は脳内で鳴っている幻聴という可能性。
すぐさま奥さんにも報告しようかとも思ったが、(いやいやそれはあり得ない)とすぐに思い直した。
ドラの音は完全に眠りに落ちた深夜に鳴っている。
なにより二人同時に体験しているのだ。
寸分違わず同じタイミングで同じ病気を発症するなんてあり得ない。
であれば、これはやはりポルタ―ガイストで、家に憑いた悪霊がドラを鳴らしているのだろうか?
僕たち夫婦はもはや完全にドラに精神を蝕まれていた。
とにかく夜が来るのが恐ろしいのだ。

それからしばらくした頃。
その日も鼓膜を撃ち抜く激しいドラの音で叩き起こされた。
すでに苛立ちはピークに達している。
もう限界だった。

「うぉおぉぉぉぉ!! もぉぉおおおっ!!」

絶叫しながら跳ね起き、トイレハイの猫のように家中をぐるぐると周り、寝室に戻ったあと虚空に向かって拳を振り上げる。

「出てこいオラァ!! ドラァコラァ!!!!」

深夜であろうが関係ない。
見えないドラの破壊を果たすべく、僕は「ドラがよぉ……ぶっ●してやる……」と完全にキレていた。
ブンブンと虚空を拳で殴り続ける。
そもそも全く意味が分からない。
なぜ深夜にドラが鳴るのか。
ポルタ―ガイストであったとしても、ドラを打ち鳴らす幽霊なんて聞いたことがない。
それにドラを鳴らすだけであれば勝算がある気もする。
寝室中に塩をまき散らしてやろうかとも考えたがベッドが塩まみれになるからと奥さんに止められた。
「ほんならどうすんねやこれぇ!!」と苛立ちを奥さんにぶつけてしまう。
奥さんも相当に苛立っているので「ドラに言えやぁ!!」と応酬する。
不毛な言い合いで体力を消耗しながらも、とにかく僕はブンブンと腕を振り回し寝室の見えないドラを「オラッ! シャオラッ! ドラッ! オラァ!」と殴り続けた。
さすがにどうかしていた。
殴りつかれた頃、もう一度家の中を見て回る。
そういえば家の外は見ていないな、と思い立ち、奥さんを寝室に残して玄関へ向かった。
つっかけを履いてドアから顔を覗かせる。
外は真っ暗で当然廊下には誰もおらず、時おりマンションの北側に連なる山から冷たい風が吹き抜け顔を撫でた。
その瞬間だった。

『バガアアアアアァァンッ!!!』

僕のすぐ目の前でドラが鳴った。
僕は完全に思考停止で固まったまま動けなくなっていた。
ドアの脇にガス点検機の鉄扉がある。
それが風を受けてゆっくりと開いていく。
やがて完全に開き切った鉄扉は、その反動と自重によってまるで叩きつけるように勢いよく閉まる。

『バガアアアアァァァンッ!!!』

あまりに衝撃的過ぎて、目を見開いたまま動けなかった。
遅れて奥さんが外に出てくる。
目の前でもう一度、鉄扉が風に煽られて開きドラの音を発したとき、僕らは全てを理解した。
脱力と笑いが同時に溢れだす。

『ぎゃはははは! これぇ!! ドラの音これぇ!! ははははははは!!』

僕らは狂ったように笑い転げた。
そのとき初めて人は笑い過ぎるとおしっこがちょっとだけ出るのだと知った。
眠る僕らの頭のすぐ横は壁であり鉄扉はその外側にある。
叩きつけるような衝撃音は壁に反響してドラのような音に変わり、眠る我々の鼓膜を振るわせていた。
ガス点検の際に調査員がカギを閉め忘れたのだろう。
ドラは昼間も鳴り響いていただろうが、家を空けているのだから気づかないのも当然である。
毎晩ではなく風の強い日のみにこの現象が起こっていたのだから、鉄扉はいつもは閉まっているように見えていた、ということにも納得出来る。
こうして我が家のポルタ―ガイスト騒動はなんとも間抜けな結末を迎えることになった。

あれから7年。
相変わらず同じマンションに住んでいるが、
今でもたまにどこかのフロアから、あのドラの音が微かに聞こえることがある。
そのたびに僕はひどくノスタルジックな気分になり、深夜のベランダに出て周囲のマンションを眺めるのだ。

——ガス点検、また閉め忘れとるな、と。

クダマツヒロシ
兵庫県神戸市出身。
幼少期から現在に至るまで怪談蒐集をライフワークとしている。
2021年に怪談語りと執筆活動を開始。23年に怪談マンスリーコンテスト「瞬殺怪談」企画にて、平山賞・黒木賞をW受賞し商業誌デビュー。24年、初の単著「令和怪談集 恐の胎動」刊行。

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