シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
今回は書籍、イベント、賞レースと様々なフィールドで活躍する深津さくらさんをゲストに迎えた。
まずは深津さんの幼少期から大学時代、OKOWA出場までのエピソードを紹介したい。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)

ずっと絵を描いていた
——深津さん、本日はよろしくお願いします。このインタビューは幼少期のお話から伺っていまして、まずはそのあたりからお願いできますでしょうか。
「こちらこそよろしくお願いします。私の出身は茨城県の水戸市で、母と2人で暮らしていました」
——どんなお子さんだったか記憶にありますか?
「小学校に上がるまではとても活発で、ずっと体を動かしているような元気な子供でした。でも小学校に入学してすぐ、学校が嫌いになっちゃったんですよ」
——どんなきっかけがあったのですか?
「担任の女性の先生が厳しい人で……。先生の中の正解が決まっていて、そこからはみ出した子供を教壇のところに連れてきて、みんなで糾弾するんですよ」
——それで神経を擦り減らしてしまったと……。
「それがきっかけで学校が大嫌いになってしまって、不登校になりました。小、中、高と学校に行きませんでした」

——ご自宅では何をされていたのですか?
「本を読んだり、絵を描いたりしていました。気楽にひとりで過ごしていましたよ」
——その中で、将来の進路を意識したのはいつ頃だったのでしょうか。
「小、中と学校には行きませんでしたが、籍はあったんです。それで中学2年生の時に『美大に行きたい』と思うようになって。大学に行くためには高校を卒業する必要があったので、通信制高校に入って高卒認定を取りました」
——美大に進学しようと思ったきっかけは何でしたか?
「周りの子たちが学校に行っている間、私はずっと絵を描いていたので、上手だったと思います。何より絵を描くことが好きでしたし。そんな時に親から美大のことを聞かされて、進路として意識するようになりました。自分と同じように、絵を描くことが好きな友達がほしかったのだと思います」

初めて触れた怪談たち
——その頃から、オカルト的なものは好きだったのですか?
「それが私、ものすごく怖がりだったんです。嫌で嫌で仕方がなくて……。一番最初に聴いた怪談は母の体験談で、私が6歳の頃だったと思います。その話が怖過ぎて、トラウマになるほどでした」
——どのようなお話だったのですか?
「母親が写真屋さんで働いていて、お客さんが持ち込んだフィルムを現像する仕事をしていたんです。その頃の体験談で、某テーマパークで撮られた写真にあるものが写り込んでいて……、という話です」
——(その話を詳しく聴いて恐れおののきながら)なるほど……。ということは、怖いテレビ番組や怖い本、マンガなんかも避けていたのですね。
「はい。観ていたとすれば、『世にも奇妙な物語』くらいでしたね。臆病な幼少期を過ごしていました(笑)」

——先ほど、深津さんは読書も好きだとおっしゃっていましたね。
「母が読書好きだったので、家の本棚には純文学の本がたくさんあったんです。時間があった私は、そんな母のコレクションを読み漁っていました」
——どんな作家がお好きだったのですか?
「太宰治、谷崎潤一郎、芥川龍之介……、といったところです。特に好きだったのが内田百閒で、怪談文学もたくさん書いているんです。そういった怪談文芸に小学校高学年の時にたくさん触れていて、『おもしろい!』と思っていました。不思議と『怖いもの』とは認識していなかったんですよね」
——深津さんが勧めたい怪談文芸作品はありますか?
「泉鏡花の『眉かくしの霊』です。温泉旅館に泊まりに来た男が女の幽霊を見る、という話で、序盤は美しく淡々と語られるのですが、最後にめちゃくちゃ怖いところでバンッて終わるんです。初めて読んだときにものすごい恐怖を感じて、思わず本を閉じてしまいました。その本が本棚にあるのも怖くて、見えないところに隠したくらいでした(笑)」

美大へ進学
——次に、美大に進まれてからの話を聞かせてください。
「京都の美大に進学して、一人暮らしを始めました。今までずっと自宅にいたので、最初は上手くいきませんでしたね」
——生活環境が激変したと思うのですが、どのような苦労をされましたか?
「無理やり周りになじもうとして、自分のことはほとんど話しませんでした。当時は浮いてしまうのが怖かったのだと思います。せっかくできた友達にも胸の内を打ち明けられなかったです。だから、しばらくの間は堅苦しく過ごしていました」
——環境は少しずつ変化していったと。
「そうしているうちに気の置けない間柄の友達ができて、対人関係の不安感は解消しました。そして私が21歳の時、当時から社会人だった夫と知り合いました。多趣味の人で、休日になると音楽ライブや展覧会に一緒に行くようになったのですが、夫の趣味のひとつに『怪談を聴く』があったんです」
——緒に怪談イベントに行かれたのですか?
「そうです。当時(2013年)は怪談イベントがとても珍しくて、大阪にあるセレクトショップで行われた小規模な怪談会に誘われました。『怖いから嫌だな』と思ったんですけど、せっかく誘ってもらってから行くことにしたんです」
——それが、初めて怪談を生で聴いた場になったわけですね。
「実際に怪談を聴いたら面白くて、ドハマりしてしまったんです。今まで自分が触れてきた怪談本を改めて読み直したり、知り合いから怖い話を聞き集めたり、怪談のイベントを調べて一人で行くようになりました。それまで絵を描く、芸術に触れるくらいしかなかった自分の趣味が広がった感じがしました。鮮烈な体験でしたね」
——初めて行った怪談会は、オープンマイク的なイベントだったのですか?
「輪になってみんなで不思議な話そうという会でした。それから私も、少しずつ人前で怪談を話すようになりましたね」
——最初に人前で披露したのは、どんなお話でしたか?
「先ほど紹介した母の体験談です。そうしたら、色々な人に褒めてもらえて。その話、面白いねって言ってもらえて、怪談イベントに行ったら『深津さん、話して』って言われるようになって、少しずつ自分で集めた話をするようになりました」
——その頃、どのように聞き取りをしていたのですか?
「一番最初は、仲の良い友達、大学の知り合い、バイト先の子といった身近な人に聞いていました。けっこう打率がよかったので、面白かったですね。それに京都には気さくな人が多くて、お店とかに入ると話しかけてくれるんですよ。そういったところで話を聞いていました。コミュニケーションツールとしてもお互いの自己紹介になるし、大量に話を集めていました。大学内で怪談会を主催したこともありましたね」
——かなりアグレッシブな収集活動ですね。
「大学の後半の頃から吹っ切れて、怪談好きの変人として知られていました(笑)」

——周りには、深津さんと同じような怪談好きはいたのですか?
「いました。同じ学科の伊勢海若っていう男なんですけど(笑)。伊勢くんは私の後輩だったんですけど、学内でもかなりの怪談好きとして知られていましたね。彼とは、3回生のときに同じ授業を取った時に初めて話をしました。彼は子供の頃から怪談を集めていたので、盛り上がったんですよ。私にとって最初の怪談仲間ですね。ちなみに……」
——ちなみに?
「実は10代の頃、チビルマくんともニアミスしていたんです。私は金沢の美大も受験していたのですが、全学科同時に試験をするんです。後々話を聞いたら、同じ日の同じ受験会場に彼がいたことがわかったんです」
——すごい偶然ですね……。
「ワダさんとは学生時代にイベントで知り合っています。だから今考えると、おばけ座のみんなは私の近くにいたんですよね」
——そうやって、どんどん怪談の魅力にハマっていったわけですか。
「大学の4回生になった時に卒業研究をするんですが、当時のゼミの担当教官の女性に『怪談が好きなら怪談のことを書きなさい』と言われて、やることにしました。そこから猛勉強をして、怪談論を書きました」
——どのような内容だったのでしょうか?
「『実話怪談』ってここ数十年で言われだした言葉で、『実話性』っていうのが近年どんどん重んじられるようになったと。では今、なぜ実話性が大事にされているのか、といったことを自分なりに書いて卒業しました」

OKOWAとの出会い
——大学を卒業してからはどうでしたか?
「社会人として働いていたのですが、2018年にOKOWAが発足しました。私は大阪の怪談イベントによく足を運んでいたので、OKOWAに関係している松原タニシさんと顔見知りだったんです。その縁もあって、発足の時に声をかけてもらいました」
——なるほど。そういう経緯で出場されたのですね。
「思い出づくりにやってみるか、という気持ちで出場して、母の体験談を語って勝つことができたんです。それから怪談師になりました」
——OKOWAに出場するにあたって「怪談で人と戦う」ということについてはどう思いましたか?
「ちゃんとイメージできてなくて……。『5、6人が集まって怪談会をして、その日の一番を決めるのかな』くらいの気持ちで行ったら、いっぱい出場者がいるし、お客さんもいるし(笑)。でもOKOWAの影響力はすごくて、色々なイベントや企画にお声がけいただけるようになりました」
——それからは、お仕事と並行して怪談活動を続けていったわけですね。
「はい。2020年に1冊目の単著(二見書房「怪談びたり」)を出したタイミングで仕事を辞め、それから専業になりました」

後編となる次回は、おばけ座結成、怪談最恐戦の優勝などのエピソードを紹介したい。
インタビュー後編は近日公開予定
リンク
おばけ座(YouTubeチャンネル)