第一服『酒呑童子』

「怪異をテーマにコラムを書きませんか?」
『怪談ガタリー』の編集長Hさんにそうお誘いを頂いた時、「やります!」とノリノリで即答した数日後……私は青ざめていた。
怪異の知識を専門的に伝えるならば相応しい界隈の諸先輩方が山程いらっしゃるわけで、私にできるのは、せいぜい「この怪異とはこんな風に出会って……」と茶飲み話をするくらい。

それで良いのか?
怪談ガタリーを盛り上げていけるのか?

自問自答の末、私は開き直った。
知らない他人の釣書を読んでも気が乗らないけど、友達がいい奴っていう人ならまあ会ってみようかという気になることは、意外とある。
知ってはいるけどグッと来てなかった怪異も、はおの茶飲み話を聞いてたら、なんだか愛着が湧いてきた……そういう気軽なきっかけになれれば御の字じゃないか。
そんな願いを込めて名づけた「奇ッ怪ちゃばなし」。
第一服目は『酒呑童子』。
私の最も思い入れの深い怪異から始めようと思う。

●酒呑童子との出会い

それは、15年あまり前のこと。
私は大学の卒業論文の題材に悩んでいた。
「異界と人間、その対立と超克みたいな民俗学的な論文が書きたい!」
という、あまりにもふわっとした熱い気持ちだけはあるものの、具体的な道筋が決まらない。
それもそのはず、本来はそのテーマへの道筋を逆算して具体的な作品なりを選出すべきところなのだが、民俗学への憧れだけを募らせて、頭っから作品研究を避けていたのである。
そんな様子を見兼ねて教授が一言。

「とりあえず『酒呑童子』読んでみなさい、多分好きだから」

と言った。
酒呑童子は、今や漫画やゲーム等多くの作品に登場し再び市民権を得ているが、当時は丁度スポットの当たっていない時期。
なんとなく聞いたことはある程度の存在であった。
「ええ〜よく知らないし、作品論じゃなくて文化論がやりたいのに!」
と内心ブツブツ反発しつつも、オススメには一旦乗ってみる性質の私。
そこで初めて触れた酒呑童子の物語に度肝を抜かれるのである。

その昔、京の都から人が次々と消える変事が起こる。
占いの結果、それが大江山(または伊吹山)に棲み着く鬼の首魁・酒呑童子の仕業と判明し、平安のゴーストバスター・源頼光一派に討伐命令が下る。
頼光は道中、川で血に汚れた着物を洗う姫君に遭遇したり、八幡・住吉・熊野の三神の加護で神便鬼毒酒を授けられたりと数々の出会いを経て、ついに童子の館に到着。
山伏と偽って潜入し大胆にも共に酒宴を囲んだ後、酔わせた寝込みを狙って首を刎ね討伐する。
童子の首は最期の力を振り絞り、頼光の兜に噛み付くも絶命。
その後、頼光は首を携え凱旋するも、都に入る手前の老ノ坂にて首が動かなくなり、首塚大明神として祀られた。

諸本から換骨奪胎しているが、『酒呑童子』は大まかにいうとそんな物語だ。
だが、この数行の粗筋の内容でさえ、数多ある絵巻・草紙・謡曲などの作品、各地方に残る言い伝え等各々で内容に差異がある。
童子の姿を例に取るなら、オカッパ頭の大男に変化して登場したかと思えば、別の絵巻では謎の巨大稚児姿で描かれたり、若き頃は多くの婦女を惑わせる美男子だったとも伝えられる。
なぜ、そんなにも伝説が多様化しているのか……その理由に迫ると数多の説にぶち当たる。
そもそもこの討伐譚自体が、土蜘蛛に並び反朝廷勢力の制圧を正当化するための物語であるというのは有名な話だが、その正体も、山人(賊)説、鉱山民説、疱瘡神説、修験者説、シュタイン・ドッチという外国人漂流者説と実に様々である。
そして、その「外部勢力の制定」という行為をさらに俯瞰的に眺めると、

「外部」の象徴たる「珠」を人間世界に持ち帰り、人間の管理下に置く、というモチーフを持った物語

小松和彦『酒呑童子の首』

すなわち、玉取り説話の形式に則っているということが見えてくる。
誤解を恐れずに言うならば、酒呑童子の物語は、人間社会が成熟していく上で無秩序なるものを制圧し、統制された社会に取り込んでいくという、言わば通過儀礼(イニシエーション)の物語でもあるのだ。

一つの伝説に深く繊細に向き合うことが、人間社会の精神的歩みへの考察に繋がるなんて。
これこそ私がやりたかったことじゃないか。
もやもやとした熱い気持ちに具体的な道筋がついて、急に目の前が開ける思いがした。
教授の慧眼というのは実に凄まじい。
かくして、酒呑童子を卒論研究テーマに定め、どっぷりとハマることとなったわけである。

●大江山での再会

そんな酒呑童子伝説の舞台・大江山。
論文を書きながら行ってみたいなぁと夢見ていたが、大学生には時間はあれど金と度胸がない。
行き方も分からない、一緒に行きたいと言ってくれる人もいない京都の奥地は、当時の私にとってはあまりにも遠い異界だった。

だが、その異界に、実は先日ひょんな事から行くことができた。
京都在住の古典怪談の名手・満茶乃さんと以前お会いした時に、大江山にずっと行ってみたかったのだとポロリとこぼしたら、

「行きましょ! 丁度久々にまた行きたいなって思ってたんです!」

と言って下さったのだ。
まさに三神さながらの優しさ!
こうして私の大江山への道行きが決定した。

京都でのイベントの翌朝に集合し、満茶乃神のご加護という名のマイカーに乗り込む。
ちなみに満茶乃さん、運転する時も着物に足袋である……やはり神は違う。
市内を出て数十分、まずは大江山への道中にある老ノ坂の首塚大明神へ。

「京都 心霊スポット」で検索すると必ずと言っていいほど紹介され、「雰囲気が凄い」とオカルト・怪談界隈の方も口を揃える場所である。
怪談を語る者としては体験の一つでもして恐怖を伝えるべきなのだろうが、陽の光に鮮やかな新緑の中に佇むお社は清々しく、ひんやりとした空気も神聖そのものであった。
本殿にご挨拶をしてから裏手に回ると、そこに四方を玉垣に囲まれた空間がある。
中央にはこんもりと石混じりの土が盛り上がっており、地中に埋められた巨大な質量を感じさせる。
ここに酒呑童子の首が眠っているのだ……。
そう思うと、「ようやく来れた」というよりも「再び会えた」に近しい不思議な感覚が胸に去来した。

慕わしさに後ろ髪を引かれながらも、旅はまだまだこれからである。
北東、つまり鬼門の方角へさらに車を小一時間走らせ、福知山市大江町に入る。
大江山の麓に差し掛かると、
「ここが鬼にさらわれた姫君が血で汚れた着物を洗っていた二瀬川ですよ〜!」
山道を車で登り始めると、
「鬼(の像)がいっぱいいるのでシャッターチャンスですよ」
満茶乃さんの口から出るわ出るわ、堪らないセリフのオンパレードである。
興奮と比例するように標高が上がり、あっという間に山頂手前の鬼嶽稲荷神社に辿り着く。
神社前に設置された展望台からの眺望は絶景そのもの。
季節によっては雲海も発生するという大江山連峰は地平線までどこまでも続くようだった。

周囲には、不動尊、不動の滝、金時の逆さ杉、鬼の洞窟と、転々と逸話の残る史跡がある。
舗装されていない山道を分け入って出会う史跡には格別の感動があった。
前日の雨で足場が悪く回れたのは一部だったが、満茶乃さんはその悪路を物ともせず、着物で悠々と進んでいく……やはり神はかっこいい。
リズミカルに繰り出される足袋を履いた足元を見つめながら後を追っていると、タイムスリップをしているような感覚を覚えた。
きっとこうやって、頼光も、鬼たちも、この山を歩んだのだろう。
机の上で想像し続けた場所を足で踏みしめる感覚は、やはり「再びここに来られた」に近しいものだった。

●酒呑童子の首

大江山を歩みながら、ふと思い出した記憶がある。

卒論提出後の面談でのこと。
半分本気半分冗談で「院に進むのも憧れる」と教授に言ったことがあった。
就職も決まっていたし現実的でないと分かっていたが、それでもそう言いたくなる位、酒呑童子研究が楽しくて仕方がなかったのだ。
それを受けて、教授がこう答えた。

「君は研究「も」できるかもしれないが、
そうではなく、止みがたく研究をしてしまう、そういう人こそ研究に相応しい。
まずは社会に出て色々なものを見てきなさい。
好きでいればいつかまた、きっと、向き合う時がくるから」

自分の中の中途半端さを見透かされたようで、「ですよねえ」と笑って、私は社会人になった。
その後、紆余曲折あって、現在はグラフィックデザインの小さな事務所をやっている。
立派な大人になったとは言い難いが、若者特有の無秩序で出鱈目な創作欲を、仕事の制作物として昇華できるようにはなったと言ってもいいだろう。
これが私の通過儀礼なのだとしたら。

酒呑童子の物語が、無秩序なるものを制圧し、統制された社会に珠として取り込んでいく通過儀礼の物語である、というのはすでに述べた。
その通過儀礼の先で、再びあの頃の熱意を以て怪異に関わるようになったことは、自分の中に祀った「酒呑童子の首」と再会したことと同義と言えるのではなかろうか。
そして、「首」を同じく持つであろう怪談仲間の方と出会って、こうして伝説の地を歩いているのはまさに運命めいた幸運なのではないか。
だから、今回の旅にはこんなにも奇妙な懐かしさがよぎるのかもしれない。

なんて。
そんなことを考えていたら、だいぶ遅れてしまっていた。

「はおさーん!こっちですよ〜!」
満茶乃さんが笑顔でこちらを振り返っている。

「はーい!」
さあ早く、追いつかなければ。

「酒呑童子の首」を胸の内に感じながら、私はまた一歩を踏み出した。

参考文献

市古貞次校注『御伽草子(下)』
小松和彦『酒呑童子の首』
佐竹昭広『酒呑童子異聞』
高橋昌明『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』
日本の鬼の交流博物館編『鬼力話伝 45』『鬼力話伝 其の弐』
八木透監修『日本の鬼図鑑』

はおまりこ
幼少の頃より妖怪や不思議なものが大好き。怪談最恐戦2023への挑戦をきっかけに怪談語りを始める。民俗学オカルトがテーマのZINE「怪異とあそぶマガジン『BeːinG』」も制作。普段は演劇やミュージカルの広告ビジュアル等を制作するグラフィックデザイン事務所をしながら、大型犬サモエドのソラン(♂)と暮らす。

リンク
はおまりこの「サモエドと怪談と」(YouTube)

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