怪談語りがたり オカルトコレクター田中俊行

シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
2回目は、オカルトコレクター・田中俊行さん。
今や押しも押されぬスーパースターである彼に、幼少期から現在に至るまでのこと、ターニングポイントなどを話していただいた。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)

オカルトコレクター田中俊行 1978年9月30日生まれ 兵庫県出身

母親との思い出

——田中さん、どうぞよろしくお願いします。

「よろしくお願いします。気軽に何でも聞いてくださいね」

——まず、どのような幼少期だったかを教えてください。

「かなり活発な男の子でした。常に外を走り回っているような。今では考えられないんですけど、かなりのリーダーシップを発揮していましたね」

——特に思い出に残っている出来事はありますか?

「よくね、母親が見つけてきた霊媒師のところに連れていかれました。インディーズの霊媒師ですね(笑)」

——民間信仰というものでしょうか。

「そうです。幼少期と聞いて思い浮かぶのは、薄暗い部屋の中で母親が白装束を着たおばあちゃんに何か言われている映像です。『良くないことをしてるな』っていう気持ちでしたよ、母は信心深くはなかったんですが、そういうものに興味があったんです。僕は4人兄弟で上に姉が2人、下に弟がいるんですけど、なぜか僕だけでしたね。20万円もするお守りを付けさせられていたこともありました」

——田中さんご自身がいわゆるオカルト、心霊に興味を持ったきっかけは何でしょうか?

「母の影響は強く受けましたね。母がレンタルビデオ店で借りてきた、稲川淳二さんの作品やホラー映画をよく一緒に観ていましたよ。こちらに選択肢はなくて、地上波の心霊番組も観ていました」

——半ば強制的にホラー映像を見せられていたわけですね(笑)。怖くはなかったのですか?

「怖かったですよ。すごく。それがオカルトの原体験でしたね」

——お父様もオカルトに興味があったのですか?

「親父はそういうものにまったく興味がない人でした。でも家族で唯一、がっつり幽霊を見ているんです。家の中で落ち武者に襲われてましたからね」

——自分からオカルトを求めるようになったきっかけは何でしょうか?

「中学2年生のときに事故に遭ったんです。車に轢かれて1カ月入院して、その間の2週間は記憶喪失になって。その出来事があってから、性格がガラッと変わりました。陽キャから陰キャになった、みたいな」

——具体的にはどんな変化がありましたか?

「当時は野球部で、水泳も剣道も得意で運動神経は抜群だったんです。でも事故がきっかけで感情の一部がなくなった気がして。泣かなくなったし、共感性みたいなものが減ったように思います」

——なるほど……。幼少期に不思議な経験はありましたか?

「物心がついた頃から小学4年生くらいまで、犬に憑りつかれていたんですよ」

——犬……ですか?

「体長を崩した時だけ、自分の家で飼っていた犬ではなく、他の家の飼い犬が身体の中に入ってくるんです。それで、少しずつ僕の自我が失われていく。最終的に犬が勝って、僕が犬になるんです」

——犬に身体を乗っ取られるということですか?

「僕の身体は犬のような行動を取るようになって、僕の自我はその様子を俯瞰で見ているんですよ。僕を乗っ取った犬の記憶も頭の中に入ってきて。犬としては別の家にいるわけですから、パニックになって家族を襲うんです。そんなことが少なくとも4回はありました」

——そのような時、お母様はどうしたのですか?

「ドン引きでしたよ」

——どう解決したのでしょうか?

「インディーズの霊媒師が解決してくれましたね。母親と一緒に行った先でお祓いを受けたら、犬に憑りつかれることがなくなったんです」

怪談キャリアのスタート

——田中さんが怪談語りを始めたのはいつ頃でしたか?

「高校生のときです。怪談が好きでよく友達に聞いていました。初めて怪談を披露したのは親戚の前だったかな。稲川淳二さんのコピーバンドをしたりしていましたよ」

——コピーバンド(笑)。でも、みんなそういう経験があるかもしれませんね。

「それから20代後半になって、友達とポッドキャストを始めたんです。そこでも怪談を語っていましたね。その時に使っていた名前が『がもん鉄』なんですよ」

——最初のターニングポイントは何でしたか?

「今の活動に直接結びつくという意味では2013年、35歳の時の『怪談グランプリ』かもしれませんね。出場者を募集していることを知って、一般枠でエントリーしたんですよ。それで出場することになって。楽屋には、当時まだ知り合っていなかった島田秀平さん、松原タニシさん、BBゴローさん、伊藤えん魔さんたちがいらっしゃったんです。僕は喋ることもできず、楽屋の隅のほうで『気まず……』って思っていました」

——当時の『怪談グランプリ』には、そういった方々もエントリーしていたのですね。

「後から話を聞いたら、島田さんもタニシさんも『楽屋の端っこに過労で死んだADの幽霊がいる』と思っていたそうです。僕のことなんですけど。そんな僕がステージに上がってきたから、驚いたそうですよ。『幽霊じゃなかったんか!』って(笑)」

——その年の『怪談グランプリ』順位はどこまでいかれたんですか?

「優勝まで一気にいきました。そこから本格的に怪談のキャリアがスタートした気がします」

——凄いですね、決勝ではどんなお話をされたんですか?

「『あべこべ』ですね。その優勝をきっかけに色んな人が声をかけてくれるようになって、東京で怪談を語る機会も増えました。それからずっと流れに身を任せてきて、今ではなんとか飯が食えるようになりましたね」

プライベートでも仲の良い、はやせやすひろ氏。

——まさに先頃発売された、都市ボーイズはやせさんとの共著新刊タイトルそのままの状況ですね(『怖い話でメシを食う。 最恐の2人が語る奇妙な日常』日本ジャーナル出版)。「怪談グランプリ」の優勝を機に、どのようなお仕事が増えましたか?

「テレビとライブ出演、執筆……といったところですね。あと、下駄華緒君とやっていたYouTube『不思議大百科』の影響は大きかったです。そこから色々な仕事につながりました」

——「不思議大百科」さんのYouTubeはいつから始まったのですか?

「東京に来てからなので、2年ほど前ですね。下駄さんが『やろか?』って誘ってくれたんです」

呪物との繋がり

——田中さんと呪物との付き合いは、どのように始まったのですか?

「人前で怪談を披露する機会が増えてきた頃から、お客様が持ってきた呪物を預かるようになったんです。その頃の僕にとって呪物は、自分が語る怪談の1エピソードでしかなかったんですよ。『集めている』という感覚はなかったですね」

——どんな物を所有していたのですか?

「最初の頃は、曰くがある石なんかを持っていましたね。特別に意識はしていなかったのですが、チャーミーが家に来てから一変しました」

——ここでチャーミーが登場するわけですね。

「チャーミーが家に来たのは、『怪談グランプリ』優勝以降だったと思います。7、8年前じゃないかな」

——そこから田中さんの呪物の世界が広がっていったんですね。

「そうですね。でも僕は今、呪物はチャーミーが集めてるんじゃないかって思うことがあるんです。仲間を呼んでいるというか」

——東京で暮らすようになったのはいつ頃からでしょう?

「42歳の時なので、3年前。コロナ禍の真っ只中でした」

——東京でのお仕事が増えたからですか?

「それもありますね。でも最初は僕よりチャーミーが忙しくなっちゃって。神戸にちっとも帰ってこなくなったんですよ。だから、チャーミーを取りに行くために東京へしょっちゅう行ってました(笑)」

——実家がある神戸を離れたのは、東京が初めてでしょうか?

「初めてではないですね。18歳の時は実家を離れてインドにいました」

——インドへは旅行をするために行ったのですか? 自分探しとか?

「母親から逃げるためでした。僕は大学受験に落ちたんですが、家族には『受かった』って嘘をついたんですよ。それで、入学金をパクってインドに行った。『よし、逃げ切ったる』と思って。インドでは自分じゃなく、職を探していました」

——突然姿を消したと(笑)。その後どんなふうに神戸の実家に戻ったのですか?

「普通に『ただいま』って(笑)。家族に聞いたら、あと少しで捜索願を出すところだったそうです。それから東京で暮らすようになるまでずっと実家にいました」

怪談について、これからについて

——怪談に関して、何か思うところはありますか?

「『みんなもっと怪談やれよ!』とは思いますね。それと、今後はジャンルがさらに細分化していく気がします」

——ご自身で一番最初に取材したお話は覚えていますか?

「しっかり取材した話というと……やはり『あべこべ』ですね」

——田中さんはどのような種類の怪談が好きなのでしょうか?

「シンプルな話が好きです。小さい頃から『耳なし芳一』が大好きで、聴いた内容をノートに書き写していたりしたんですよ。あの話には、怪談の良い要素が全部入っている気がします」

——これからやりたいと思っていることはありますか?

「それが、ないんですよ(笑)。近くの目標はあるのですが、遠くの目標が見付かっていないんですよね」

——それでも呪物やお仕事がどんどん集まってきている田中さんには、ある種の求心力というか“引き寄せる力”があるのかもしれませんね。

「そうなんですかね……。でも、呪物はこれからも集め続けていきたいと思っていますよ」

——呪物に関して、ブームが来ていると思いますか?

「呪物関係の仕事は増えましたね。注目を浴びているという実感はあります。でも、この状態がずっと続くとは思っていません。呪物は私のライフワークでもあるので、続いてほしいですけどね」

——近年、ホラーの中に“呪物”という新しいカテゴリが出来上がった気がします。

「そうですね。呪物がメジャーなカテゴリになりましたね。そして次にどんなブームが来るか、楽しみではあります」

インタビュー中にもユニーク過ぎる魅力を放ち続けた田中さん。
これから彼が、どんな“不思議”と“驚き”を我々に届けてくれるのかが楽しみで仕方がない。
田中さん、貴重な機会をありがとうございました。

田中さんの呪物コレクションが展示されている「祝祭の呪物展」は、8/3(土)まで東京タワーギャラリーにて開催、8/10(土)から8/25(日)は札幌PARCO 7F スペース7にて開催予定。
そして8/7(水)から8/18(日)まで、秋葉原書泉ブックタワーにて「呪物書店」が開催予定。

「田中さんにとっての怪談とは?」

リンク
呪物のコレクション展「祝祭の呪物展」2024 東京開催
「呪物書店」田中俊行氏秘蔵のコレクション展示&怪談イベント開催

関連記事

TOP