
今これを読んでいる貴方は幽霊が視えたことがあるだろうか。
まずは一度、手を止めて思い出して欲しい。
私が今まで取材を重ねてきた中で、主に “霊感が無い“ と言う体験者が “たまたま視えた“ というケースで多い幽霊の視え方というのは、「一瞬視えた」か、「視界の端に映った」の二つであると感じている。
ただ、きちんと数値化して統計を取ってきたわけでは無いので、あくまでも肌感でそう感じているという点はご承知願いたい。
かくいう私も、今までの心霊体験(のようなもの)の中で、しっかり視えていたケースは非常に少ない。
殆どは、一瞬視界の端に人の姿が映った、といった程度だ。
ここで一つ思うことがある。
所謂霊感があれば、霊を視ることができるのだろう。
しかし「普段霊感が無い人たちが一斉に同じ怪異を視た」といった話も数多存在する。
では、霊感があるという条件を除いた時に、はたして“視える条件“ というものは存在するのだろうか?
また、それとは逆に、怪異が “視えなくなる条件“ というのも存在するのだろうか?
今回は、怪談ガタリー編集部はおまりこさんの怪談『眼鏡の隙間の怪』を考察していこうと思う。
今回も考察するにあたり、この後の文章にはネタバレが多く含まれる。
そのため、この話を聴いたことが無い方は、はおまりこさんのYouTubeチャンネル『サモエドと怪談と』から視聴することができるので、是非視聴後にこの先を読んでいただきたい。
いつも眼鏡を掛けた時に生じる左右の隙間から霊が視えてしまうというAさん。
バス停で本を読んでいると「ねぇ、私の顔どうなってる?」と、眼鏡のレンズ越しには視認することのできない何者かに問いかけられてしまうというこのお話。
恐らくその近くで亡くなった霊であろうその何者かは、自分の姿を視てもらいたかっただけであろう。
そういった話はよく耳にするが、この怪談の面白い所はなんと言っても「眼鏡のレンズ越しには視ることが出来ない」という点だろう。
稀に「この眼鏡を掛けた時だけ変なものが視える」といった話を聞く事はあるが、眼鏡を掛けた時のみ左右の隙間から霊が視える今回のケースは初めてだ。
是非ともこの体験者の方には別の眼鏡やサングラスなどで試してもらったり、いつ頃から視えるようになったのか、親族に視える人は居るのかなど色々取材をしたりしたい所ではあるが、それは追々はおさんに聞いてみるとして、今回は霊の視え方に関して考えてみたいと思う。
実は、私が以前取材した方からこれに近しい話を聞いたことがある。
その方を仮にTさんとしよう。
Tさんは、小さい頃から霊媒体質であり、不可思議なことが身近によく起きるという人だった。
何かが視えてしまう時は決まって視界の中でも視認できるかどうかギリギリの上下でしか視ることができないのだという。
殆ど視えないにしても日常生活の中で不思議なことがよく起こる為、Tさんは一度霊能者の元に相談に行った。
すると、
「ご先祖様が、目隠しするように貴方の目の前に手をかざしていますよ」
といわれた。
Tさんが霊媒体質だと知っていたご先祖様が、余計なものを見ないように目隠しをしていてくれているのか——。
はたまた、そのご先祖様も含め、代々霊的素養が高い家系で子孫のことを守っているのか——。
いずれにせよ不自然な視え方は、先祖の守護のおかげだったのかもしれない。
このTさんの視え方のお話を聞くと、Aさんのお話も『隙間から視える』と言うより、元来視えているものが『眼鏡のレンズで視えなくなっている』という可能性も浮かび上がってくるが、Aさんの場合は眼鏡を掛けていない時はとくになにも視えていない為、それは考えづらい。
では眼鏡を掛けてない時と掛けている時で、何が変わっているのだろうか。
眼鏡を掛けていない素の状態では霊は視えない——しかし、眼鏡を掛けると眼鏡の外側に霊が視えるようになる。
ということは、視えるようになるトリガーに「視力」は関係ないことがわかる。
視力以外で変わる事と言えば、眼鏡の縁とレンズが作る「視界の境界線」が生まれるという事だろう。
視力が悪い人はわかると思うのだが、眼鏡などの視力を矯正してくれる物があるとないでは、見える世界は異世界のようにガラッと変わるのである。
例えばAさんが眼鏡を掛けていない素の状態で霊が視えないというのが、Tさんのように何らかの守護か己が自然と掛けたフィルターのおかげであるとする。
そこに眼鏡を掛けることによって、視えないで済んでいた世界に境界線を生んでしまい、守護やフィルターの外の世界を作り出してしまっているのではないだろうか。
案外我々を守る境界線というのはそこら中にあり、ふとした瞬間にそれを壊してしまうことや変えてしまうことはいつだってあり得ることである。
ちなみによく言われる例えの中で一番身近な境界線と言えば、玄関先にある表札だろう。
表札はその家に住む者を守る力があると言われており、一種の結界のような役割を果たしているという。
ただ近年はその表札を付けない家も多くなっているので、もしかすると様々なモノが出入りしやすくなっているのかもしれない。
Aさんのケースは、完全に出来上がっている霊を見ないで済む世界に、眼鏡という境界線が生まれることによって、元来視なくて済んでいたものが視えてしまっているのではなかろうか。
ぜひAさんにはコンタクトでの生活を試していただいて、霊の視え方がどう変わったのか聞いてみたい。
ただいずれにせよ、向こうの勘違いで危害を加えてくるのは勘弁していただきたいものだ。
沫
ディレクター業、及び映像作家。芸能方面にて経営から企画、プロデュースを行い、マネジメントや自らがミュージシャンとして活躍するなど、多岐に渡って活動を行う。一方、ウェブ作家として活動する父“筆者(ふでもの)”と共に、お互いの得意分野を生かしての“怪談”と言うジャンルに挑戦。一日一話、二千話終了のショート怪談を、Xアカウント”みっどないとだでい”にて連載中。