自身の体験談を語る怪談師は決して多くない。その殆どは実際に怪異を体験した体験者から取材をし、聞き集めたお話を再構成して披露している。つまり取材こそが怪談師の命なのだ。我々怪談ガタリー編集部では、この取材という行為にフォーカスした企画を考えた。怪談師にお題を与えて、そのお題に則した怪談を取材をしてきて貰うのだ。
題して……怪談、聞いて来てもらえます?
さて、今回我々がチャレンジャーに選んだのはこの方——。
ここからは、小田切さんの視点でお楽しみ下さい——。
真夏の夜の悪夢。百物語が呼び寄せた怪異とは?
8月の茹だるような暑さの中、私は新幹線で東京を目指していた。
途中、車窓から長岡市の花火大会が見えた。
そう、私は本業の都合で岩手県遠野市を離れ、新潟県に住んでいる。
しかし、怪談活動の拠点は岩手なことに変わりはない。
決して岩手や遠野を捨てたわけではない。
東京駅からタクシーで10分掛からないところにあるレンタルルームが今日の現場だった。
「怪談ガタリー」という珍妙なWEBメディアが主催する百物語会に、語り手として呼び出されていたのだ。
会場につくと、すでに会の準備は万全。
久しぶりに見知った怪談の語り手たちの顔を見て、安心している自分に気づいた。
ここもまた、私の居場所のひとつなのかもしれない——そんなことを感じていた。
百物語の序である33話はオンラインで配信されたので、ご覧になった方もいるだろう。
順調に配信を終えた我々は、少し長めの休憩をとっていた。
その時だった——
先ほどまで仲間と思っていた人たちの顔が、途端によく見えなくなった——なんだこの怪しい目隠し線は。
目の前の編集長の肩書を名乗る2人が、急に祝いの言葉を連呼し始めた。
「祝」と「呪」という漢字は部首しか違わない。
これは祝いの言葉ではなく呪詛の類か?
先ほどまで感じていた安心感が、みるみる消えていくのがわかる——心が冷え切っていく。
「おめでとうございます! オダギリさんは『怪談ガタリー』のチャレンジ企画『怪談、聞いてきてもらえます?』のチャレンジャーに選ばれました」
あ、知ってる。
無理難題を突きつけられて泣きながら怪談取材をさせられるアレだ。
初回の村崎一平くんの記事をゲラゲラ笑いながら読んだ覚えがある。
え? 私が? 何の取材をしろというんだ?
「オダギリさんといえば、今やビジネス遠野で有名じゃないですか」
ビジネス遠野? とても心外な響きがする。
「『場所は関係ない。俺がいるところが遠野だ』と仰ってると、風の便りに伺いました」
言ってない。断じてそんなことは言ってない。
「と、云う事は、今お住まいの新潟でも『遠野物語』のような怪談を集めるのも簡単ですよね。河童とか、天狗とか——」
なるほど、そういう感じか——それならいけるかもしれない。河童、天狗の話ならわりと全国どこにでも——
「河童とか、天狗とか——は全国的ですからね。それじゃ簡単ですよね。岩手、遠野と言ったらやっぱり座敷わらしですよね。オダギリさんには新潟で座敷わらしの怪談集めてきて貰いたいと思います」
え!? 座敷わらし!? 新潟で!?
こうして、私の憂鬱な夏が幕を開けたのだった——。
ねえ、編集部さん。納期バグってるよ?
東京での怪談イベントが終わり、新潟にたどり着いた瞬間のことだった。
一通のLINEが届いたのだが、その衝撃の内容に私は目を疑った——。
平日はフルタイムで働いているのに、いったいいつ取材しろというのだ。
しかも“座敷わらし”なんていう特殊なテーマを——。
例え体験者が見つかったとしても、取材している時間なんてない。
どういう気持ちでこの連絡をしてきたのか、正直言って怪談より怖い。
理解を越えた締め切りの提示に強迫観念を覚え、早速私は仕事でお世話になっている新潟県のとある市町村の自治体職員の方に「新潟で座敷わらしの話って聞いたことあります?」と聞いてみた——。
「いやぁ、座敷わらしは聞いたことないですね。いるのかな? 僕じゃわからないんで、うちの歴史図書館にも問い合わせてみますね」
やっぱりそんな簡単に座敷わらしはないよなあ——。
でも、歴史図書館に聞いてくれるとは心強い! きっとなんとかなるだろう!
この役所職員の言葉に安堵し、私は座敷わらし取材をアウトソーシングし怒涛の8月に専念することにした——ほぼ毎週末、岩手や宮城に怪談イベントで赴いた。
そして、8月末の夜のことだった。
ピコンッ
ああああああああああああああああ!!!!
完全に忘れてt……嘘です! 忘れてませんよ!
きちんと下調べを続けていましたよ!
実は役所職員から「どうやらうちの街に“座敷わらしが出る蕎麦屋”があるらしいんですよ」という情報が!
さらに、どうやら柏崎市にも「座敷わらしがいる宿」があるとの情報も発見!
しかもこの宿の座敷わらし、遠野とも縁が深いらしいのだ。
よし、さっそく取材に出かけよう!
いざ潜入! 座敷わらしのいる蕎麦屋
役所職員曰く、新発田市米倉にある「水音の里」という蕎麦屋に座敷わらしがいるとのこと。
確かに調べてみるとSNSには「歴史を刻む築160年の江戸時代古民家は座敷童子はなちゃんがいます」と書いてある。
遠野市に住んでいた時でさえ出会えなかった座敷わらし。
まさかの新潟県で出会うことができるのかもしれない。
期待を胸に目的地を目指す。
水音の里に到着すると、早速こんな貼り紙があった。
はなちゃん。
実は、この日取材のアポイントメントを入れていなかった。
「なんとかなるだろう」精神で、突撃の訪問だった。
まずは、一般人の程でお蕎麦をいただく。
丁寧かつ雰囲気の良い店員さんがあたたかく迎えてくれた。
「本日は占いもやってますので、よろしかったらぜひ」
店員さんが指差した先には簾で区切られた占いブースが。
この時点で私は「これなら、この珍妙な取材も受け入れてもらえるぞ」と確信した。
古民家を改装した素敵な店内。しかも蕎麦がめっちゃ美味しい。
十割そばということだが、繊細な細切りで、喉越しもよい。
蕎麦の風味が爽快に鼻を抜ける。
しかも、セットのお稲荷さんがこれまた上手い。
甘いお揚げと米の味付けのバランスが最高だ。あと10個はいける。
美味しいお蕎麦に舌鼓を打ったあとは、いよいよ取材である。
会計を支払いながらそれとなく取材へ持ち込む。
「実は私、怪談作家をやっていまして。本日は、取材ができればと思って来たんです」
我が著作『遠野怪談』と名刺を手渡し、簡単な自己紹介と今回の取材趣旨を説明する。
「ええ!? 本当ですか? 実はうちの店主、怖い話大好きなんです! ちょっと待っててくださいね」
店員さんが厨房に引っ込むと、入れ替わりでパンチパーマの強面な男性が姿を表した。
矢沢永吉ファンでもある店主のKさんだった。
改めてKさんに今日私がここを訪れた理由を説明する。
「実はねえ……俺、怖い話が好きなだけじゃなくてね……体験してるんですよ。それこそ、本一冊かけるくらいに」
聞き逃せない一言が飛び出してきた。
ということで、ここでひとつKさんの体験談をご紹介しよう。
Kさんが運送会社を経営していたときのこと。
Kさんの会社は大手運送会社の下請けをしており、新潟市内のとある地区内で、個人宅への配達を主な業務としていた。その日は、災害級の豪雨だったという。
まだ、荷物を配り切ってはいなかったが、これ以上の配達が困難だと判断したKさんは、少量の荷物を残しつつもこれ以上の配達は困難だと判断し切り上げた。会社で残務処理をしていると、委託を受けている会社から電話が入った。
届ける予定だった荷物のなかに、どうしても今日中に受け取りたいという客がいるというのだ。
業務を受託している立場としては断りきれず、後輩と2人で該当の民家へ向かった。民家の横に車を寄せると、後輩と2人でチャイムを鳴らした。
玄関からは年配の女性が姿を表した。
雨に濡れながらも荷物を届けたKさんたちを見ると
「雨のなかごめんねぇ。ありがとうねぇ」
女性は柔和な笑顔を向けてお礼を言われた。
「これで身体拭いてねぇ」
タオルを取り出してきてKさん、そして後輩に手渡す。
するとその女性は、もう1本タオルを取り出すと
「ほら、後ろのお兄さんにも」という。
Kさんと後輩が一斉に後ろを振り向く。誰もいない。
「お母さん、何を言うんですか。僕らは2人だけですよ」
「え? じゃあ、車のドアの横に立っているお兄さんは誰なの」
その言葉を聞いた2人は慌ててその民家に飛び込んだ。
つい最近もKさんとこの後輩は夜の宅配先で奇妙な体験をしたばかりだったのだ。その後、しばらく玄関の中で待たせてもらい、雨が落ち着くと、その家の旦那さんに懐中電灯で照らしてもらいながら、車まで送ってもらったという。
Kさんたちに着いてきた男性は、いったい何者だったのだろうか。
「まだまだあるんだよ」
さまざまな体験談をKさんは聞かせてくれる。
Kさんのガチの怪異体験に興奮しつつも、いよいよ本題の座敷わらしの話題を切り込んだ。
きっかけは⚪︎⚪︎!? 古民家で起きる不思議な現象の数々
Kさん曰く、この古民家は8年程前に買い取った物件のようだ。
その古民家をリフォーム・増改築し現在蕎麦屋として運営しているとのこと。
物件を買い取った当初は、特に不思議な現象は起きていなかったという。
「きっかけがあってね。それが、向こうの床の間に飾ってある鎧兜なんだ」
この古民家で不思議な現象が起きるきっかけとなった出来事を語ってくれた。
Kさんが蕎麦屋を始めたのは、今から7年程前だった。
開店してから半年ほど経ったころ、骨董品収集が趣味であるKさんは、九州の知人から島津藩で実際に使われていたという鎧兜を譲り受けることになった。店に鎧兜が届いた日、偶然お店に遊びに来ていた友人と荷解きをすることになった。
Kさんと友人が協力して梱包をほどき、鎧の入っている箱の蓋を開けたときだった。
箱の中からモクモクと白い煙が立ちこめた。
Kさんの言葉を借りるに「ハクション大魔王が現れるときのような煙だった」そうだ。それは埃ではなく、間違いなく煙だったという。
その煙が立ちこめた直後、それまで晴天だった空模様が俄かに掻き曇り、雷雨が降り始めた。煙と天候の急変に驚きはしたが、2人は鎧を組み立てることにした。
一つ一つの部品を取り出し、苦労しながら組み立ていく。鎧が組み上がるころには天気はまた晴天に戻っていた。
「その日からだよ。お店の中で、だれもいないのに足音が聞こえたりするようになったのは」
それからというもの、誰もいないはずなのに足音を聞いたり、声を聞いたり、いるはずのない子どもの姿をみたり。
不可解な現象を目の当たりにしたお客さんが「このお店には座敷わらしがいる」と言うようになったという。
次第にお店の2階にある小部屋には、座敷わらしのためにお客さんが持ち込んできた玩具やぬいぐるみなどで溢れるようになった。
こうして祀られるようになったからには、何か座敷わらしの形があった方がいいとKさんは感じたという。
「3年程前に、知人から江戸時代に作られたであろう日本人形を譲り受けてね。綺麗に顔を塗り直して髪も定期的に整えているから、見た目は綺麗で古くは感じないんだけど。この人形を、うちの座敷わらしの憑代にしようと思って」
こうして形を得た座敷わらしは2階の部屋に鎮座し、多くの訪問客から篤い信仰を得ているという。
「名前も最初はなかったんだけど。この人形を譲り受けてから自然と“はな”って名前が浮かんできてね。今ではその名前で呼んでいます」
この座敷わらしの人形の周りでは、現在進行形で不思議なことが起きているという。
実際に、私もその部屋を撮影させてもらうことになった。
そして、この部屋で私の身に不可解な出来事が起きることとなる——。
リンク
オダギリダイキ/小田切大輝/遠野怪談語り部/著作「遠野怪談」