シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
今回のゲストはナナフシギの大赤見ノヴさん。
まずは「大赤見ノヴ」という男の原型を作った、父親とのエピソード、青春時代の不思議な話などを紹介する。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)
父が与える試練
——ノヴさん、どうぞよろしくお願いします。まずは幼少期についてお話を伺えますか。
「僕の出身は大阪府住吉区で、両親と暮らしていました」
——どのようなお子さんだったか記憶はございますか?
「僕、生まれてすぐに肺炎で生死の境を彷徨ったそうなんです。代々、大赤見家の男は呼吸器系の病気で生まれてすぐに死線を彷徨うみたいなんです。父もそうでしたし、僕の息子もそうでした」
——ノヴさんの怪談の代表作のひとつ『大赤見家の因縁』でも語られていたお話ですね。
「そうです。小さい頃から喘息を患っていて、幼稚園にはほとんど行きませんでした。おとなしくて絵を描くことが好きな子でしたね」
——内向的なお子さんだったと。
「喘息の治療をしに病院に行くときは、近くにあった古本屋に連れていってもらっていたんです。そこで水木しげる先生の妖怪の本とか、プロレスの本とか、マンガの単行本なんかをを手に入れていました。その古本屋には中古のゲームソフトも売っていたので、いま仕事で関わっているような、大人になっても好きなものにはその頃に出会ったんですよ」
——まさに現在のノヴさんのベースとなる部分が、幼少期に作られたのですね。
「そうです。喘息の治療をしながら、古本屋で買った本の絵を描いていましたね」
——ご家族はどのような方でしたか?
「父はものすごくワイルドな男でした。元々僧侶だったんですけど、母と結婚して僕が生まれてから還俗したんです。それからはなかなか仕事が続かなくて。破天荒な人でしたけど、僕は『いい育てられ方をしたな』と思っています」
——お父様との思い出深いエピソードを教えてください。
「印象深いのは、僕に欲しいものがあったときに父が試練を与えてきたことですね。例えば、スーパーファミコンに『シムシティ』っていう都市を作るシミュレーションゲームがあって。住民を50万人集めるとマリオ像が建つんです。『それができたら、お前の好きなゲームソフトを買ってやる』って言われたんですよ。これ、小学生には到底無理なミッションなんですよ(笑)。でも僕は頭を使って、攻略本に載っていたマリオ像の写真をカラーコピーして、その通りに街を作ったんです。やがて人口が50万人に到達して、父の試練をクリアしました」
——文字通り、ゲーム性に富んだやり取りですね。
「普通の家庭なら怒られるようなことでも、父は試練をクリアした僕を褒めてくれました。『ちゃんと考えたら、お前の欲しいものは手に入るんや』って。そんな育て方でしたね。そういった経験のおかげで、僕は今でも困難に直面するとワクワクするんですよ」
——他のお父様のエピソードはありますか?
「幼稚園で僕がいじめられたときも、父は慰めるわけでもなく『今からそいつの家に行って倒してこい』って言うんですよ。どうすればいいか聞くと、ケンカに勝つ方法を教えてくれたりしましたね(笑)。そんなときも『会心の一撃を出せば勝てるから』みたいな言い方でアドバイスをしてくれました」
——ゲームに出てくるワードで諭してくれたのですね。
「父にそう言われてから、勇気を出していじめっ子を倒したこともありましたね。いじめられて泣いて終わるんじゃなくて、困難を越えていく方法を考える。父はそんな力を鍛えてくれました。それは小学校に入ってからも一緒で、3年生のときに『人間ってワンチャンスをモノにすれば状況をひっくり返せるんだ』ということに気付くことができました」
——大きなターニングポイントですね。
「だから僕は、悩んでへこむことがほとんどなくて。悩むより考えたほうがいいって思うんですよ。どんな時でも、絶対に打開策はあるんです」
多感な青春時代
「小学5年生の冬、父の仕事の都合で大阪から横浜に引っ越したんです。抵抗したんですけど、聞き入れてもらえるはずはなく……。知らない土地に転校したら、大阪で勝ち取った地位が一気にゼロになってしまう。だから考えたんです。『どうやったら大阪の頃の地位を手に入れられるか』って」
——それは大問題ですね。
「『お父さんだったらどうする?』って相談したんですよ。すると『転校初日に絡んでくる奴がおるやろ。そいつらを……ひとりずつ、やろか』って(笑)。かといって、いきなり大暴れしてもダメなんです。だから戦略を練って、弱い者いじめの現場に乗り込んだりして信用を積み重ねていきました。転校して数カ月後には1軍でしたね。シミュレーションゲームをクリアしていくような感覚でした」
——転校先でも、着実にステップアップしていったと。
「横浜の学校に馴染んだのはいいんですが、問題もあった。大阪弁が少しずつ薄れていったんですよ。その都度、父から『お前、横浜の言葉をしゃべってんなぁ~。めちゃくちゃダサいなぁ~』って嫌味を言われて(笑)。それが悔しくて、なんとか大阪弁が消えないように努力をしました。だから、僕の大阪弁ってマイルドなんですよ。それは芸人時代の強みにもなりました」
——中学時代はどうでしたか?
「中学校に入ると多感な時期になったからか、霊感が強くなりましたね」
——元々、霊感はあったのでしょうか?
「父は元からそうでしたし、僕も小さい頃から霊感がありました。例えば父と僕で格闘ゲームをしていたとき、父が操作しているキャラクターが画面の中で動かなくなったんですよ。どうしたのかと思って父のほうを見ると、父はコントローラーを置いて『婆さん、うっとうしいな!』と手で払いのける仕草をしていたんです。どうも、お婆さんの幽霊が部屋の中にいたみたいで。そういったことは日常茶飯事でしたよ」
——ノヴさんは、ふとしたときに幽霊が見えたのですか?
「そうです。だから『怖い』という感覚はなかったですね。幽霊は身近な存在でした」
——その霊感が中学時代に強まったと。
「中学生になると、それなりに悩み事が多くなるじゃないですか。『友達に彼女ができた、羨ましいなぁ』とか。感情が揺れる時期だったんでしょうね。幽霊がガンガン見えるようになったんですよ」
——それは毎日とか……?
「毎日というわけではなく、不定期でしたけど……。それまでは悩むことなんかなかったのに、中学生になって悩みが増えてマインドが崩れた。そのせいで見えやすくなったんだと思います。僕が15歳のときの実体験は、今でもよく話していますしね。それに僕が当時住んでいた横浜のマンションは、近所でも有名な幽霊物件だったんですよ」
——お父さんは霊感が強いのに、どうしてそのマンションに住もうと思ったのでしょう?
「『安いからや』って(笑)。それぐらい父は強気でしたよ。父の名言は『幽霊に物理攻撃は効くぞ』でしたからね。僕はその域まで達していないですけど(笑)」
名前のルーツ
——周囲のお友達は、どのようにノヴさんを見ていたのですか?
「僕を不思議少年だと認識していましたね。たまに奇怪な行動を取るので、霊感が強い奴として覚えられていたと思います。それに僕の家は特殊で、友達が自由に出入りできたんですよ」
——それはお父様の方針だったのですか?
「そうです。学校から帰ってきたら、友達が僕の部屋で勝手にゲームをしていたりとか。さらに母が友達にご飯を振る舞ったりしていたので、友達も居心地がよかったんでしょうね。そんな環境のおかげでグレずに済んだのだと思います。事実、僕らの代だけヤンキーが少なかったんですよ。当時の僕らは『ワルい奴』よりも『面白い奴』を目指すような雰囲気がありました。ダウンタウンさんをはじめとしたお笑い芸人が流行した時期でもありましたしね」
——充実した中学生時代だったのですね。
「ただ勉強に関しては特殊で。僕って、興味があること以外は頭に入ってこなかったんですよ。算数、数学は小学3年生の時に捨てましたし(笑)。でも記憶力は抜群で、日本史はめちゃくちゃ成績がよかったんです。きっかけは『信長の野望』というゲームソフトで、それから戦国時代に興味が湧いて、本を読み漁って調べましたね。そうそう、『信長の野望』に関して不思議な話があるんですよ。僕が最初に選んだ戦国武将が、滋賀県の浅井長政だったんです。それを見た父が『お前、滋賀県を選んだんか』って言うんですよ」
——お父様が反応したわけですね。その理由が気になります。
「滋賀県で浅井長政が治めていた城が、のちの徳川時代、井伊直政が改築して『彦根城』という城になったんです。『お前の名前の彦の字は、彦根城から取ったんやで』って。話を聞くと、父の母方の実家が滋賀県のほうにあって、父がバイクでツーリングしているときに見た彦根城がかっこよかったから、という理由だったんです。まさか自分の名前のルーツと『信長の野望』が繋がるとは思いませんでしたね」
——そんな中学時代を経て、高校時代はどのように過ごされましたか?
「中学時代の友人に頼まれて同じ高校に入学しました。その友人はケンカが強くて周りから一目置かれていたんですけど、彼が転校で急にいなくなってしまったんですよ。ピンチかなと思ったんですが、僕は幼少期から考えて試練を突破することを繰り返してきたので、問題はありませんでした。中学の時の先輩から僕、かわいがられてまして。その先輩のおかげか、高校3年間も安泰でしたね」
——高校時代はどんなことに興味を持っていましたか?
「中学2年の時に初めてリーバイスのジーンズを手にしてからファッションに興味が出て、高校に入るとちょうどダウンタウンさんが一大ムーブメントだったので、ワルさよりも、ファッションと面白さの方に傾倒しましたね」
——小さい頃から好きだったものは、その時期も変わらずお好きでしたか?
「大抵、高校生になると幼少期に好きだったものから卒業していると思うんですけど、僕は変わらず好きでしたね。プロレスもずっと観てましたし、友達に『女の子と遊ぶから来いよ』って誘われても『俺、クリアしたいゲームがあるから』って断ったり。『ゲゲゲの鬼太郎』も余裕で観ていましたよ(笑)」
父親の教えを基に困難を突破し、「好きなもの」を貫いて成長していったノヴさん。
次回は、ノヴさんの海外移住、吉田猛々さんと出会ったエピソードなどをお届けしたい。
インタビュー後編は12月3日公開予定