シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
3回目は都市ボーイズ・早瀬康広さん。
都市伝説だけでなく、呪物、心霊、オカルトなど様々な世界で最前線を走り続ける彼の物語とは?
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)
ずっと愛に飢えている
——早瀬さん、どうぞよろしくお願いします。さっそくですが、幼少期はどのような子供でしたか?
「とにかく暗かったですね。誰とも話せなかったですし、輪に入りたくても入れなかった。小さい頃、友達に『一緒に帰ろうよ』って言えなかったことがトラウマで、未だに誰かといて会話がなくなると『一緒に帰ろう』って口に出ちゃうくらいなんです」
——照れ屋だったのですか?
「相当な照れ屋でした。心を閉ざしてるわけではないのに話せないっていう……。自信がなくて控えめな子供でしたね」
——そういった感情は何で埋めていたのですか?
「父親がかなりの映画・オカルト好きで、同い年の子達は通らないであろうマニアックな作品ばかり観ていました。それで埋めていたように思います」
——優越感に近い感覚でしょうか。
「そうですね。『僕は君達ちびっ子とは違うものを知っているんだよ』みたいな感覚はありました。でも全然そんなことはなく、本当はめちゃくちゃ人と話したかったんですよ。あとは弟も関係しているかもしれませんね」
——弟さんは年齢が近いのですか?
「僕が生まれた1年後に上の弟が生まれたので、両親から優先してかわいがられる期間が短かったんです。だから寂し過ぎたんでしょうね。小学4年生まで、ストレスで親指を吸っていました」
——それは、どこからか変わっていくのでしょうか?
「高校を卒業して上京するまでずっとそうでしたね。……いや、今でもそうか。どこか愛に飢えていて、多分死ぬまでそうやと思います。周りにたくさん人がいて、幼少期とは比べ物にならないくらい友達が増えましたけど、『今寂しくないな』と思えるのは岸本(誠)さん、奥さんといる時だけですね」
都市ボーイズ結成前夜
——岸本さんと出会ったのはいつ頃でしたか?
「僕は19歳の頃からテレビ番組のADをやっていました。21歳のときにあるお笑い番組に関わるようになったんですが、色々あってADを辞めたんです。なぜかというと、作家になりたかったなんですよ」
——構成作家ですとか、放送作家に憧れていらっしゃったんですね。
「そう。企画を書きたかったんですよね。それでワタナベプロダクションの『作家コース』を受講することにしたんですけど、そこに岸本さんがいたんです。僕が23歳、岸本さんが27歳の時だったと思います」
——岸本さんとはすぐにウマが合ったのですか?
「いや、最初はむっちゃ嫌いでしたよ。お互いに『合わないな』と思っていたはずです。岸本さんは優等生タイプで、一番前の席に座ったり、宿題をちゃんとやる男でした。僕はまったく逆で、一番後ろの席で誰とも話さず小説を読んでいましたね。テレビマンをしばらくやっていたから、同期をナメていた部分もありましたね」
——幼少期のエピソードとリンクする部分がありますね。
「でも僕なんかより周りのみんなのほうが優れてて、ずっとクラスの最下位でしたよ。そんな時期に『仲良くしましょう会』みたいな集まりに参加したんですが、帰りに岸本さんもいて。『一緒に帰ろう』って話になったんです。『僕、あんまり東京知らんから案内してくださいよ』って言って。そのときに食事をしたら『めちゃくちゃおもろい兄ちゃんやな』って思ったんです。岸本さんも僕のことを面白いと思ってくれたみたいで、結局クラスで一番仲が良い存在になりました」
——「大嫌い」が「大好き」に反転したわけですね。
「それから卒業公演があって、岸本さんはトップの成績で通過したんです。僕は最下位で受からなかった。その後二人で食事をしたとき、岸本さんが『あいつら、マジで見る目がないな。お前が一番面白かったのに』って言ってくれたんです。僕はテレビの仕事を辞めて普通の仕事に就こうかどうか悩んでいたので、岸本さんがそう言ってくれるなら続けてみようと思ったんですよ。あの言葉がなかったら、今の自分はなかったかもしれませんね」
——卒業後、お二人は別々の道に進んだのですか?
「岸本さんは作家会社に入ってテレビの裏方をやることになって、僕はテレビ関係者に頭を下げまくって色んなところでADの仕事をするようになりました。それで、ある制作会社でたまたま岸本さんと一緒になって、二人で仕事をするようになったんです」
——そこから都市ボーイズ結成に向かっていくのでしょうか?
「話は前後しますが、僕は小さい頃からオカルトが好きだったんです。生まれ育った岡山県の津山市はカッパを信仰している街でしたし、隣の鳥取県には水木しげる先生がいらっしゃった。山口敏太郎先生の本をずっと読んでもいましたしね。そんな僕は、テレビの取材先で色んな話を収集することができたんです。岸本さんは新宿歌舞伎町の出身で、都市伝説や陰謀論が大好きだった。そんなことがきっかけで、『何かやりましょう』ということになり、都市ボーイズを結成しました。2015年5月のことでしたね」
——どちらから声をかけたのですか?
「僕が岸本さんを誘いました。ただ二人とも構成作家をやっていたから、単純に声をかけただけでは岸本さんがOKしないと思ったんです。そこできちんとポッドキャスト番組の企画書を作って、ファミレスでこうしたい、ああしたいとプレゼンをしたんです。それで岸本さんが納得して、その日に都市ボーイズが誕生しました」
——それからずっと岸本さんと一緒にいるわけですね。
「奥さん以外では、東京での付き合いが一番長いのが岸本さんですね。彼のことは東京のお兄ちゃんだと思っています」
——どうして都市伝説を扱おうと思ったのですか?
「僕も岸本さんもオカルト好きではあったのですが、都市伝説は今ほどメジャーじゃなかった。扱うYouTubeチャンネルも少なかったですしね。でも都市伝説が面白いことはわかっていたから、僕らはその入り口になれたらいいなって思ったんです」
——最初はポッドキャストでの配信がメインでしたね。
「そうです。僕が編集を全部やるから、岸本さんはこの曜日にウチに来て新ネタを話してくれたらいいですよって言いました。そのスタイルは今も変わっていませんね」
もう一人の大切な存在
——早瀬さんを語るうえで、奥様の存在も欠かせないと思うのですが。
「都市ボーイズを結成した2015年5月に、当時交際中だった奥さんを岡山の実家に連れていったんですよ。両親に『結婚を考えてる』っている話もして。その帰り道、岡山駅の深夜バス停で奥さんと二人きりのとき、『俺はオカルトで飯を食っていきたいと思ってる』って話したんです。それから食えるようになるまで、本当に時間がかかりました」
——相当な苦労をされたんですね。
「YouTubeを続けてオカルトで飯が食えるようになった後、奥さんと岡山に取材をしに行くことがあって。その日は岡山で1泊する必要があったので、岡山駅近くのホテルに泊まったんです。すると奥さんが珍しく料金が高い部屋を取っていて、『何でなんやろう?』って疑問に思ってホテルの部屋に入ると、奥さんが外を見ながら肩を震わせて号泣してるんですよ。『どうしたの?』って聞いたら、『2015年の5月、私はあなたを全力で後押しすると決めた。そして、あそこのバス停から見える高級ホテルにいつか泊まってやるとも決めた。今日、その夢がやっと叶った』って言いながら泣いてたんです」
——素敵なお話ですね……。
「僕、思わず奥さんを抱きしめながら一緒に号泣しちゃいました。それが2022年頃のことだったと思います」
怪談グランプリ優勝
——早瀬さんのターニングポイントの一つは何でしょうか?
「そうですね……『怪談グランプリ』の優勝かもしれません」
——早瀬さんは2017年と2019年に優勝されていますよね。
「正直言うと、仕事が増えたわけではなかったんです。ただ、自分の心の持ちようみたいなものは変わりましたね。『俺、日本一獲ったんや』って」
——『怪談グランプリ』に出場する前にも怪談は話していたのですか?
「僕は2017年の『怪談グランプリ』で初めて怪談を話したんですよ。実体験をポッドキャストで話したことはありましたが、メディアで語るのは初めてでしたね。そんな僕でも、運良く優勝することができた。そのせいか、初優勝の後は人生で一番の大炎上を経験しました」
——炎上ですか?
「めちゃくちゃエゲつなかったですよ。当時の一部の怪談ファンにとっては、よくわからんやつがポッと出てきて優勝したことが面白くなかったんでしょうね。毎日『○す』とか『トロフィー返せ』とか書かれたDMが20通くらい来ましたし。それでも僕はそういう発言にガンガン応戦したり、アンチを呼ぶイベントもやりました。だからどんどん炎上していったんです」
——どうしてアンチに寄っていったのですか?
「色々な方に心配していただいたんですが、どうしても目立ちたかった。当時、岸本さんには自腹で付き合ってもらってましたし、僕は月の稼ぎが4万円くらいしかなくて、奥さんに食べさせてもらっていたんです。だから優勝したときに『これでどうにかして売れなければならない。悪評でもいいから表に立って、自分の力で食えるようにならなければならない』って思って。今思えば、少しおかしくなっていたのかもしれませんね」
——当時、岸本さんからは何か言われましたか?
「いや、まったく。僕も特に言わなかったんで……。そんなことを続けるうちに心を病んでしまったんです。やっぱり『○ね』『○す』って毎日言われ続けて、それが知らないうちに溜まっていったんでしょうね。表ではアンチにガンガン意見してましたけど、裏では電車に乗れないくらいになっちゃって。そんな状態が1年ぐらい続きました。人が怖くてアルバイトもできなかったですね」
——そんな時期も、奥様が支えてくれたと。
「そうですね。奥さんには本当に助けられました。僕には収入がなかったので、奥さんのお金で日本国内だったり東南アジアに取材に行ったり。一度、奥さんに聞いたことがあったんです。『どうしてこんな俺と別れずに一緒にいるの?』って。そうしたら、『絶対に当たる宝くじを私が捨てるわけないでしょ』って言われたんです。僕のためじゃない。自分の未来のためにお金を使っているんだって。そのときは奥さんのことを心から『かっこいいなぁ』って思いましたね」
——これも印象に残るお話ですね。
「それが2019年。僕にはまったお金がない。岸本さんは無償で来てくれる。奥さんにも楽をさせたい。なんとかこの人たちを食べさせたい。そう思っていた時期に『怪談グランプリ』で2度目の優勝をすることができたんです」
そして2019年の後半、都市ボーイズはYouTubeチャンネルをスタートする。
この続きは次回。