怪談語りがたり 怪談家ぁみ 後編

シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
その記念すべき1回目は、怪談家・ぁみさんをゲストに迎えた。
後編となる今回は「渋谷怪談夜会」立ち上げ以降のターニングポイント、思い出深いエピソード等に触れていきたい。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)

前編はこちら

怪談家ぁみ 1982年9月29日生まれ 山口県宇部市出身

開拓精神

——ぁみさんは2014年に「渋谷怪談夜会」を立ち上げたわけですよね。

「そうです。私が本格的に怪談に舵を切った2010年頃、テレビの怪談番組なんかによく呼んでもらっていたんですけれど、いつも決まったメンバーだったんですよ。怪談タレントやホラー系の専門家で、顔ぶれがいつも同じ。勿論それも良いのですが、僕は、『もっといろんな人の怪談も聞きたい!』と思ったんです」

——特定の人たちだけが怪談を披露していたと。

「専門家だけじゃなく、もっと『誰でも怪談を話してもいいんだよ』っていう空気感を作っていきたいと思ったんです。それで、友人のアイドルやアーティストに声をかけて『渋谷怪談夜会』を立ち上げました」

——例えば、どなたに声をかけたのですか?

「まずは響洋平さんです。2010年頃。当時の響さんは、バーで車座になって怖い話をする怪談会をやっている方だったのですが、『ステージに上がってみませんか』と声をかけたんです。最初は『いやいや、僕なんて』とおっしゃっていたんですけれど、必死に口説きました(笑)」

——現在にも繋がる響さんとの関係は、そういったところからスタートしているのですね。

「響さんは世界的に活躍されているDJで、テクノのスクラッチバトル日本チャンピオン。『そんな方が、ステージに上がりパフォーマンスとして怪談を披露してもいいんだ』となればいいなと思って。あとはシンプルに響さん好きなのでお願いしました」

——他にはいらっしゃいますか?

「当時、グラビアアイドルのりゅうあさんに出会った時、怪談が大好きで僕が出ているテレビ番組も欠かさず見てると言ってくださりました。だからりゅうあさんにも『ステージで本格的に怪談を語ってみませんか』とお願いして出てもらったりもしました。2012年の頃でしたね」

——それが2014年の「渋谷怪談夜会」の立ち上げに繋がると。初期はどのような方が怪談を語ったんですか?

「モデルの滝沢カレンさんや、当時まだ全く怪談を披露していなかったthe band apartの原さんなど様々な職種の方に怪談を話してもらいました。当時は原さんが怪談を語るイメージを誰も持っていなかったので、バンド界隈も驚いていました。そしてちゃんとエンタメに昇華したかったので、MCをキングコングの西野さんにやっていただきました。そういった方々に話していただくことで、『怪談を専門にしている人じゃなくても気軽に話していいんだ』っていう空気を作っていけたらいいなあと」

——地道で長い道のりだったのですね。

「そういった中、数年経つにつれて、『怪談が好き』って言ってくれる芸能関係の人も増えてきたんです。だから、怪談というワードと業界に対して少しずつでも前よりも華やかな印章をつけることができていたらいいなと思っています」

——当時の他のエピソードはありますか?

「ただその頃は、ネット配信者はネット配信者、ステージパフォーマーはステージパフォーマーって感じでした。それぞれがそれぞれの領域で頑張っていたんだと思うんですけど、その壁もぶっ壊したいなと思ったんですよ。そこで、イベントによく遊びに来てくれていた悠遠かなたさんに声をかけたんです。『ステージに上がりませんか?』って。それには驚きの声も多かったですが、今では配信者がステージに上がることが当たり前の時代になってて嬉しく思っています。とにかく壁を壊して、怪談のイメージをポップで華やかなものにしていきたかったわけです」

怪談賞レース

——その頃のぁみさんは、数々のTV番組やイベントで優勝し、2018年に「稲川淳二の怪談冬フェス〜幽宴〜 怪談最恐戦 怪凰 決定戦」でも優勝されていますよね。だから、ぁみさんといえば大型怪談賞レースで軒並み優勝しているというイメージがあります。

「色々と大変でしたけど、『出るなら勝つ』という気持ちで臨んでいました。怪談への愛情を込めて。それに、いただいた怪談を評価してもらえれば、提供者の方にも胸を張れるんですよ。あとは、背負っているものもありましたから」

——それは「渋谷怪談夜会」ですか?

「『渋谷怪談夜会』のコンセプトは『お泊り会の夜』なんですよ。優劣が関係ない怪談を楽しむ世界。でも、それは優勝した奴が言ったほうが説得力があると思って。だから開かれた大会の場では出るなら優勝しようと思っていました」

ファスト怪談の語り手でいること

——ぁみさんの主催イベントに関してお話を聞かせてください。ぁみさんのイベントは「満足度が高い」という声が多いことも特長だと思います。どのようなところを工夫されたのですか?

「色々な界隈の人と関わっていく中で、カルチャーごとの良い部分を怪談シーンに取り入れたいと考えました。お客様には楽しい気持ちで帰ってほしかったですし、顔を覚えてほしかった。その1つがいわゆる『ミート&グリー』で、十数年前、当時誰もやっていなかったお客様のお見送りをすることにしたんです。だから終演後、誰よりも早くロビーに行っていました。というより、会場に来てくださっている事が嬉しかったので、実は僕がお見送りをしたかったというのもあるんですけどね(笑)」

——それが「また怪談イベントに行きたい」という気持ちに繋がりますよね。

「当時誰もやっていなかった事にもどんどん挑戦してみました。怪談イベントに笑える前説を入れたり、怪談のイベントにMCというポジションを入れたのもそう。とにかくポップにしよう、わかりやすくしよう。ライトユーザーさんに優しくしようと思ったんです」

——なるほど。

「そしてその頃に決心したのが、『僕はファスト怪談の語り手でいよう』ということです。極力ライトユーザーさんに伝わりやすい怪談、つまりワンシチュエーションだったり手前な表現でわかりやすく怖い話をやっていこうと。そのスタンスは現在でも変わっていません」

——あくまで入り口に立っていたいと。

「そうです。常に0から1にできることを探していますし、最前線で動き回り続けたい。だから後ろにどっしり控える気はなくて。気持ちは若手のまま。だから『畏れ多い』などと言われると、こそばゆいんです(笑)」

大型イベントの成功

——そして2022年に「HORROR TELLER FESTIVAL」(以下、ホラフェス)がスタートしたわけですね。

「本来は2019年に計画を立てていたんですよ。『来年やりたいね』って。そうしたらコロナ禍が始まってしまった。それから2022年にようやく実現できたんです」

——怪談シーンにサーキットフェス形式を取り入れたのは、かなり斬新だなと思いました。

「音楽のロッキンやカウントダウンジャパンなどの大型フェスには出演していたので、その良さを怪談界に取り込みたかった。サーキットフェスの良さは、お目当ての人を見に来て、お目当て以外のお目当てを見つけて帰れるところだと思うんです。だから絶対に若い人にも出演してほしいし、お客様はスタンディングで色々なところに顔を出せる。雰囲気ごと楽しんでほしいなと」

——昨年の「ホラフェス」拝見させて頂きましたが、演者の方も楽しんで参加していた空気感がお客様にも伝わっていた気がします。

「お客様の熱気もすごかったですし、嬉しいご感想も沢山いただいたので、思い思いに楽しんでいただけてたらいいなと思います」

——そうしてイベント開催を積み上げてきたぁみさんのひとつの到達点が、昨年(2023年)11月の「渋谷怪談夜会 10周年公演」in Zepp DiverCityだったのではないでしょうか。

「そうですね。皆さんのおかげで怪談のイベントを約1200人規模で実現することができました」

——そのような大きなチャレンジを、どうして続けられたと思いますか?

「やはり仲間の存在は大きいですね。最初に渋谷O-EASTで渋谷怪談夜会をやろうとしたときも大きなチャレンジでした。それまでは最大でも70人ほどの規模でイベントをしていた僕が、約10倍のキャパの会場に挑戦するわけですからね。そんなとき、渋谷怪談夜会に出てくれる予定の友人アーティストが自身のライブに招待してくれて、『会場でチラシを配りなよ』って言ってくれたり、僕がチラシ配る姿を見つけた友人の現役アイドルの子達が『一緒にチラシを配ってあげるよ』って手伝ってくれたり。僕が挑戦するとなったとき、ものすごく力になってくれたんです。それから10年経ってZeppに挑戦すると決めてからも、チケットを手売りしたり、チラシを配ったりの日々で、相変わらずとても地味で地道でしたが、『渋谷怪談夜会』を立ち上げたときのことを思い出しながら初心を胸に頑張ることができました。それは仲間たちがいてくれたからで、『僕はひとりじゃないんだ』って思うことができたんです。僕は天才でもないしラッキーボーイでもないから、挑戦といっても時間もかかっちゃうし手間もかかっちゃうし地味で地道だけど、これからも挑戦していきたいです」

ぁみさんのこれから

——今後の野望といいますか(笑)、目標はございますか?

「さらに怪談を盛り上げたいです。もっともっと。怪談をブームにしたいですね。正直現状は、僕が思い描いている目標の15%くらいなので」

——先ほどのお話にもあったように、これまでぁみさんは様々なジャンルと怪談を結び付けてきたわけですが、注目しているジャンルはありますか?

「実はコロナ禍の最中に、山口県で『ドライブインシアター』形式での怪談LIVEをやったんです。これが大好評でした。それに、怪談は他のカルチャーに比べてまだまだ伸びしろはあると感じています。これまで、ずっと挑戦してきましたからね」

——他にはございますか?

「以前『LR怪談』という立体音響怪談をやったのですが、バイノーラルマイクを使ったり、演出を工夫したり、その新しい形も模索していきたいと思っています。ま、他にも色々と考えていますよ(笑)」

——怪談の語り手が増えたことに関しては、どう思われますか?

「自分の事でいっぱいいっぱいであまりSNSを見れず上手く追えていないのですが、『話し手が増えている』という話はよく聞くんですよ。それは、僕が2010年頃にしていた『もっとどんな職種の人でも、専門家じゃなくても怪談を語っていいんだよ』っていう動きが実になった気がしていて、嬉しく思っています。そして色んな人が怪談を語るということは、自分が知らない怪談を聴けるチャンスが増えるということでもあると思うんですよ。それは僕にとってとても嬉しいことなんです(笑)。ここまでインタビューでなんだかんだ色々頑張ってきたような事を言ってきましたが、実はどれも『もっともっといろんな人のいろんな怪談が聞きたい』っていう僕のただの願い事なだけなんですよね(笑)。話し手さん、どんどん増えていってほしいですね」

——これからも、ぁみさんにしかできないことを実現していくということですね。

「稲川淳二さんがぶっとい道を作ってくれたので、僕はその道じゃないところを歩き、周りに色んな花を咲かせていきたいと思っています」

——稲川さんと最初に会ったときのエピソードを教えてください。

「2016年だったと思いますが、新潟県のテレビ局の番組でお会いすることができました。『今からテレビ局内で怖い話をしてもらいます。5人怖がらせたら、ぁみさんで特番を組みます』って言われて。受付嬢の方やアナウンサーの方の前で怪談を語って、4人怖がらせたんです。すると『最後は局長を怖がらせてください』と言われて、広い部屋に通されたんです。そうしたら、僕に背中を向けて椅子に座っている人がいる。その後ろ姿を見たとき、一発で『稲川さんだ』ってわかったんです。そして稲川さんがこちらを向いて『ぁみちゃん!』って。笑顔で。僕、号泣しちゃったんですよ。初対面で、尊敬する神様が目の前で名前を呼んでくれて。にも関わらず、番組MCさんから『はい、じゃあ怖い話をお願いします』って言われて。できるかぁ! って(笑)。で、喋ったんですけどね勿論。そしたら、稲川さんは僕の怪談を大絶賛してくださったんです。それから色々あって、フジテレビの番組で稲川さんから『次はぁみちゃんだね』という言葉をいただきました」

——それは大きな出来事でしたね。

「そして実を言うと、一番の野望は『温怪談(あったかいだん)』なんです。怖いだけではない、心温まる話が実は大好きなんです。怪談は人間ドラマだと思っていて。怖いだけじゃなく人物の物語に笑う時もあれば心温まる時もある。『温怪談』を発信することで、怪談の可能性をさらに広げることができると考えています。そのためにも賞レースは優勝しないとと思っていました。怖い話も人一倍できるんだよと。『最恐』を冠してこそ、『怪談は怖いだけじゃないんだよ』の説得力が増すかなと。まぁ、ここまで色々と話をしてきましたが、それでも僕はブレることなく自分を信じてくれる人たちを信じて、大事にしてくれる人たちを大事にして走り続けたいと思っています」

——ぁみさん、本日は貴重なお話をありがとうございました!

「こちらこそ。ありがとうございました。あと、美味しいパンケーキごちそうさまでした(笑)」

2024年3月に上演されたぁみさん脚本・演出の朗読劇『温怪談』は満員御礼、5月のGW4日間に行われた8公演も大好評のうちに幕を下ろした。
今後も怪談カルチャーの第一線でシーンを牽引するぁみさんに注目していきたい。

「ぁみさんにとっての怪談とは?」

リンク
怪談家ぁみXアカウント
渋谷怪談夜会オフィシャルウェブサイト

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