第三服『座敷わらしと具志堅さん』

夏といえば、心霊番組だ。
昔ほどではないが、今年の夏も毎週のようにホラーをテーマにした番組が地上波で放映されている。
怪談に携わるものとしては嬉しい限りである。

だが、かくいう私は、実は幼い頃はそういった番組がてんでだめだった。
妖怪やオカルト、学校の怪談、殺人事件を扱った推理小説は大好きなのに、お化けが大の苦手。
シンプルに怖い。
夏休みの期間となると、昼間のワイドショーなんかでも納涼怪談コーナーが特別に組まれたりしたものだが、普段の明るい照明が一転、緑と紫の照明に切り替わり、ヒュードロロロという怖い音が鳴り出すと、もうそれだけでダメだった。
長じて後、話の内容がどうこうより恐怖演出を視覚的に観るのが苦手だった事に気付いたのだが、幼い子供にそれがわかるはずもなく。
わかった所で臆病者が挑戦できるはずもなく。
気になるのに観られないという時期が随分長く続いた。
それでも年を取るにつれ段々と「大丈夫なもの」が増えていって、今や立派なホラー雑食人間となっているが、その一つ一つの「大丈夫かも!」をくれたターニングポイントみたいな番組や人物が存在する。
その一人が具志堅用高さんだ。

番組名もまったく覚えていない。
こんな真夏によくやる心霊番組の中の一つだったと思う。
具志堅さんが座敷わらしが出ると有名な宿で泊まり込みの検証をするという、ありふれた内容だった。
私自身も去年宿泊した緑風荘の改装前の頃だったか、全国各地にある他の座敷わらしの宿だったか定かではない。
ただ、おびただしい数の玩具が並べられている和室に、具志堅さんが他のタレントと共に張り込みをしている姿を覚えている。
座敷わらし検証というのは今でもなお放送される企画で、大体オーブが発生したり、良い時(?)は置かれた風船などが風もないのに動き出す、というのが定番である。
その時もたしか、紙風船がコロコロと転がったりラップ音的なものがしたりと、さすが世界王者は持っているというべきか、現象が続々と起きたのだ。
それに共演者が悲鳴を上げて一歩も動けない中、具志堅さんが
「きっと遊びたいんだねえ。いいよ、遊ぼう」
そんなような事を言いながら紙風船を投げ返した(と、思う……記憶が曖昧である)。

圧倒的強者!!

さながらカイジのアナウンスのようなセリフが私の脳裏に響いた。
霊能者のように視えている人であれば、霊や怪異を慮るのも難しくはないだろう。
だが、見えない、得体が知れないという事はそれ自体が恐怖であり、常人は理屈でわかっていたってすくみ上がってしまうものである。
だが、具志堅さんの視えない相手の心ですら推し量って気遣える余裕。

これが王者の優しさ!
なんと格好いい!!

となんだか涙が出るほど感動してしまったのだ。
そうか、怯えるだけではなく「どうしてこういう振る舞いをするのだろう?」と考えてみれば、それは怖いだけのものではなく、関係構築や解釈が可能な興味深いものになるのかもしれないのだ。
そう思った瞬間に、目の前が啓けた気がした。

座敷わらしは、柳田國男に遠野物語を伝えたとされる佐々木喜善によれば、「圧殺されて家の中に埋葬された子供の霊」と言われる。
江戸期には度重なる大飢饉により口減らしが横行していた。
その方法としては川に流す、口を覆うなどの方法が一般的であったが、東北地方では「臼殺」といって石臼で圧殺した嬰児を土間や台所に埋める風習があった。
現代人の感覚では残酷な仕打ちに思えるが、子供を神の元へ返し、また再びこの家に生まれて来ることへの祈りが込められていたという。
こういった風習を語る際、当時は現代とは幼児に対する死生観が違い「七つまでは神の子」であって、それ以前の死は子供を神に「返す」行為として考えられていたというのが研究書での定番の説明なのであるが、実際そこまで割り切れてはいなかったろうと思うのだ。
遠野の地を訪れた際に触れた四季折々の風習は、子宝や子の成長への祈りに満ちていた。
それが飢饉の時にのみ反転ざるを得ない辛さは、いかばかりだっただろうか。
生まれてこれなかった子の寂しさと、育ててあげられなかった親の悔恨とが混じり合って生まれたのが「座敷わらし」という存在なのだろう。

だとするならば、具志堅さんの振る舞いのなんという尊さよ……。
「大人に遊んでほしかった/子供と遊んであげたかった」という想いをさらりと実現してしまうんだから参ってしまう。
もしかしたら、全くもって深く考えていなかったのかもしれないが、深く考えずとも周りの存在を救ってしまうのが世界王者なのである。
よく霊的存在に心を寄せすぎる優しい人には寄ってくるよ、なんて言われる事もあるけれど、具志堅さんなら寄って来たとて屈強な精神と身体でそんなのものともしないのだろう。

そういう人に……私もなりたい!!

※おまけ
昨年、座敷わらしの出る宿「緑風荘」ではおが座敷わらしに撮られた(と思っている)写真。
ボタンを長押ししなければ連写しないはずのカメラが、突然触ってもいないのにひとりでに連写し始めた。
なんとなく子供の顔の高さを写した写真ばかりなので、自撮りしたかったのかもしれない。

はおまりこ
幼少の頃より妖怪や不思議なものが大好き。怪談最恐戦2023への挑戦をきっかけに怪談語りを始める。民俗学オカルトがテーマのZINE「怪異とあそぶマガジン『BeːinG』」も制作。普段は演劇やミュージカルの広告ビジュアル等を制作するグラフィックデザイン事務所をしながら、大型犬サモエドのソラン(♂)と暮らす。

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