第二服『お岩さま参り』

皆さんは『四谷怪談』にまつわる噂をご存知だろうか。
歌舞伎・落語・映画・本、どんな媒体だとしても『四谷怪談』にちなむ作品を扱う際には、お岩様にお参りをしなければいけない。
さもないと祟りが起こる……という有名なアノ話である。

知ってるに決まってるだろう!
怪談好き何年やってると思ってるんだ!!

そんな怒号が聞こえてきそうだが、では実際にその理由でもってお参りに行った事がある人、となると、意外と限られるのではないだろうか。
実は私、これまでに2回、そのお参りをしたことがあるのだ。

2回目はつい最近。
その契機になったのが、6月末に開催された「川奈祭」という川奈まり子先生の作家活動10周年を祝うイベントだ。

「膨大な川奈先生の作品群から1つを選びトリビュートする」というイベント趣旨だったのだが、これが一見取り組みやすいようでいて、実に奥深かった。
作品選択からそれをどう演じるかで、下手をすれば自分の怪談を演じる以上に演者自身が浮き彫りになるような、そんなイベントだったように思う。
そこで私は『眠れなくなる怪談沼 実話四谷怪談』の中の「眼帯娘」という作品を演じ、恐れ多くも大賞を頂いた。
「眼帯娘」は、ある女性が数年前に偶然見かけたポスターをきっかけに歌舞伎『東海道四谷怪談』を観劇し、その夜、右目に眼帯を付けた娘に出会う。
そこからあまりにも因縁めいた怪異を幾度となく経験し、『四谷怪談』をなぞるように女と女と男の悲しい結末へ向かっていく……そんな物語だ。

なぜこの物語を選んだか。

イベントではお話した理由以外にもう一つ理由があった。
実は、この話の冒頭を読んだ時、私はドキッとしたのだ。
というのも、私自身が、数年前に上演された歌舞伎『東海道四谷怪談』のチラシ・ポスターを仕事で作成していたからだった。
まさか……私の作ったポスターが、この体験の契機となったのでは?!
そんな風に思ったのもつかの間、よくよく読めば女性が見たのは東京の公演、私が作成したのは京都での別の年の公演で、全く違う事が分かった。

…………ちぇ!!!

現実はなかなかそう上手く符合しないのである。

その数年前の仕事でいざ『四谷怪談』に関わるとなった時、やはり脳裏によぎったのが冒頭のアノ噂であった。
不思議な話が大好きでも、いざ祟りが自分に降りかかるなんて言われると半信半疑なのだが、とはいえ、もしデザイナーの商売道具でもある右目に何かあったら悔やんでも悔やみきれない。
ここはやはり、しっかりとご挨拶に行くべきだ。
思い立ったが吉日と、四谷の於岩稲荷と陽運寺、巣鴨の妙行寺にお参りしたのである。

それが、初めてのお参りだった。

そのおかげなのか、何もおかしな事は起きなかったどころか、お岩様達を淡い花が囲む渾身のチラシビジュアルが後日無事完成した。
変事はなくとも、お参りをしたという経験は怪異をめぐる一連のムーブメントに参加しているようで、その時から私の中で『四谷怪談』は特別になった。
だから、ぜひともこの「眼帯娘」をやりたい。
そう思ったのだ。

そうして「眼帯娘」に演ずるにあたり、さすがにもう数年前のお参りの効果は切れているに違いないので、改めて2回目のお参りについ1ヶ月程前に行ってきたわけである。
お参りの効果がどのくらい持続するのかはわからないが、おそらく、まだまだきっとお岩さまへのお参りの効果期間中である。

この機会を逃すわけにはいかない!

という事で、ここぞとばかりに『四谷怪談』を連呼しながら、コラムにも書かせて頂いている次第なのであるが、その2回目のお参りで、ちょっと不思議な事があったのだ。
またどうせ何事もなく、お参りを終えるだろうと思っていたのだが……生まれて初めて変なものを視たのだ。

四谷の於岩稲荷と陽運寺には別日にお参りを済ませて、立地が離れた巣鴨の妙行寺にお参りをしたのは、からりと晴れた気持ちのよい初夏の昼下がりだった。
以前訪れた時もそうだったが、お彼岸でもない平日昼間の墓地は人気がなく、しんと静まり返っている。
でも全く嫌な感じはせず、時折吹き抜ける涼しい風が頬に心地よくて、お参りを終えた私は手桶を揺らしながらノシノシ墓地の中を歩いていた。

その時、ふと、前方の地面を動く何かに気づいた。

煙の塊のようなもやもやとした半透明の質感。
大きさは30センチ程度。
形は、ちょうど風神様が持っている口を縛った袋のような、いや、我が家の愛犬(サモエド)のお尻と尻尾のような。
そんなものが、お墓を囲む外柵の足元の角を左に曲がるようにして消えていった。

え、なに今の。
そう思った一瞬後にすぐに追いかけて曲がった先の道や、周囲を見渡しても、見間違えそうな猫や袋などは何もなかった。

これについてはXでもポストをして、

妖怪好きな私はこじつけ的に……

半透明のすねこすりかな?
小さい煙々羅かな?

なんて思っていたのだが、これを書きながら記憶を整理していて思い出した事がある。

実は、その煙の塊を視たのは2度目の帰り道だった。
どういう事かというと、実は最初にお岩さまのお墓参りをした時は線香の買い方がわからずに、手桶に水だけ持ってお墓の所まで来てしまい、お墓の前の香炉を見て、

「線香を持って来るのを忘れてしまいました……お水だけですみません!」

と謝りつつ、イベントを見守って頂けるようお祈りをしたのだ。
だが、帰りしな社務所にお線香販売の張り紙がある事を発見して、お線香を後追いでお供えしてもう1度、

「2回にわかれちゃってすみません……」

とお参りをして、その帰り道にあれを見たのだ。
直後は物凄くはっきり視たにも関わらず、そして、怪談を語る者として、言ってしまえば美味しい体験にも関わらず、

「いや、見間違えでしょ、信じられないって」

なんて呟きながら、即、何でもない事として忘れようとしている自分に気づいて愕然とした。

ひょっとして、こうやってこれまで信じられないものを沢山忘れてきたんじゃないのか……。

そして、怖くもないこの体験ですら私はこんな忌避行動を取ろうとしてしまうのに、今まで体験を話してくれた方たちは一体どのくらいの覚悟でそれを記憶して話してくれていたのだろう、と改めて思った。

ひょっとすると、あれはお岩さまからの粋な計らいだったのだろうか。
後追いで届けた線香の煙でもって、不思議なものを見せてくれたのかもしれない。

「あなたも怪談に携わるなら、体験者さんの気持ちを知っておきなさいね!」

怪談の大先輩(?)からの、そんな叱咤が聞こえてきそうである。
しかも、即忘れようとする怖がりであることも慮って、妖怪っぽい怖くなさそうな姿にしてくれたのだとしたら、なんという優しさだろうか……。

良いチラシを作らせてくれるし
視る経験をさせてくれるし
2代目川奈まり子を襲名させてくれるし

お岩さまは今のところ私にとって祟るどころか、足を向けて寝られない存在である。
これは今後も定期的にご挨拶に行かねばなるまい、と心に誓うのであった。

はおまりこ
幼少の頃より妖怪や不思議なものが大好き。怪談最恐戦2023への挑戦をきっかけに怪談語りを始める。民俗学オカルトがテーマのZINE「怪異とあそぶマガジン『BeːinG』」も制作。普段は演劇やミュージカルの広告ビジュアル等を制作するグラフィックデザイン事務所をしながら、大型犬サモエドのソラン(♂)と暮らす。

リンク
はおまりこの「サモエドと怪談と」(YouTube)

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