ホテルにて

怪談の活動をする傍ら会社員としても働いているのだが、月に2、3回は東京への出張がある。
職業柄、目的地はほとんど毎回同じであるため宿泊するホテルも偏る。その利用していたホテルについて先輩から「出る」と聞いたことがあった。さっそくネットの口コミサイトで検索してみると、確かにいくつかはそれらしき書き込みが見つかった。

〈○○号室で金縛りに遭いました〉
〈△△号室に宿泊しましたが、突然蛇口から水が〉
〈□□号室で急にテレビが点いたり、電気が消えたり——〉

どれもありきたりなエピソードだが確かに心霊体験だ。部屋番号は伏せられていたため特定はできないが、なにせ月に数回泊まるのだからそのうち妙な体験をするかもしれないなと期待に胸を膨らませていた。
その数か月後、社内でとある噂を耳にすることになる。どうやら先輩の一人が例のホテルで恐ろしい体験をしたらしい。その先輩は俳優の阿部サダヲに若干似ていたので、僕は陰で《サダヲ先輩》と呼んでいた。これは聞かねばとさっそくサダヲのデスクを訪ねる。

「○○さん、ホテルで怖い体験したってマジですか?」
「おぉ、マジよ。めちゃくちゃ怖かった」

サダヲ先輩はわずかに頬を引き攣らせて話してくれた。

数日前のこと。客先での業務を終えてフロントでチェックインしたのが0時頃。疲れた体でスーツケースを引きながら、当てがわれた部屋までエレベーターで向かう。部屋に到着しカードキーをドアにかざし解錠する。入口を抜けた廊下の先、その右側にダブルベッドがあるのだが、ベッドが目に入った瞬間思わず「うおおおおっ!!」とのけぞって声を上げた。

——ダブルベッドに全裸のおっさんが寝そべっている。

だらしない体を晒し涅槃像の姿勢でくつろぐおっさん。そのおっさんと目が合った。
おっさんもおっさんで突如部屋に現れた男に「おおおぉっ!!??」と悲鳴を上げている。思わぬ場所で思わぬおっさんとの遭遇。しかも全裸である。
その恐怖は想像を絶するものだが、全裸のおっさんも気の毒ではある。部屋で寛いでいると突然阿部サダヲ似の男がスーツケースを引いてドカドカと入ってくるのだ。相当怖かっただろう。

おっさんが視聴しているかは知らないが『死刑に至る病』という映画で阿部サダヲは残忍かつ猟奇的なシリアルキラーを演じていた。拷問シーンでは観客にトラウマを植え付けるほど熱のこもった怪演を見せたわけだが、まさにあの殺人鬼が目の前にいるのだ。
傍らのスーツケースには拷問器具が詰め込まれているのだろうか。あるいは浴室でバラされたあと、もの言わぬ肉塊として収納されるのだろうか——。
興奮しているのかサダヲはこれから始まる人肉解体殺戮ショーに歓喜の雄叫びを上げている。

反撃しようにもなす術が無い。なにせ全裸なのだ。全裸の中年に出来ることなど何もない。全裸であるがゆえ、中年の男は恐怖に怯えながらただ情けない悲鳴を上げるしかできない。これじゃあ「どうぞバラして下さい」と誘っているようなものだ。全裸であるということはそれほどに無力なのだ。
逃げ出そうにも廊下はサダヲが塞いでいる。哀れな全裸中年はこうも思っただろう。——こんなことなら脱がなければよかった。
サダヲの雄叫びが途切れ、狂気の宴が始まる。しかしその瞬間サダヲはくるりと背を向け何やら喚きながら部屋を飛び出していった。

「——あかんあかんあかんあかんて!!」

——部屋を飛び出したサダヲ先輩はエレベーターに向かいスーツケースを引きながらとにかく走っていた。混乱は未だ収まらず、うわ言のように「あかんあかんこれはマジであかん……」と繰り返す。
やがてエレベーターまで辿り着くと、窓際に備え付けてあった内線電話を見つけた。すぐさま受話器を取るが、手の小さな震えは収まらない。

「——はい、フロントです」

従業員の声が聞こえた瞬間、初めて恐怖より怒りが勝った。
「これはアカンやろ!!」声がうわずる。それが恐怖によるものなのか、寝ぼけた声のフロントマンへの怒りによるものなのかは分からなかった。

「……何かございましたでしょうか?」
「部屋! 部屋部屋部屋!!」
「部屋……部屋でございますか?」

腹の底からの叫びであったが、事情を知らないフロントマンの声には困惑が浮かんでいる。それが余計にサダヲを苛立たせた。結局上手く状況は伝わらず、電話を乱暴に切りフロントまで戻った。
フロントに詰め寄って、ふぬけ顔のフロントマンにまくし立てるとホテル側のミスで違う部屋を案内されていたということが判明した。当然ホテルからは「誠に申し訳ございません!」と謝罪を受けたそうだ。
すぐに正しいカードキーをご準備いたします、と告げられしばらく待っていると奥から別のスタッフが現れてにこやかにカードキーを渡してきた。

「……大変失礼致しました。こちらが正しい部屋番号の鍵でございます。お隣の部屋でした」
「気まずいやろ!!」

そこでもう一度激怒し、別部屋を用意させ宿泊したのだという。

「——というわけなんだわ……」

話を聞き終えた僕はサダヲ先輩の受難にゲラゲラと笑い転げながら「怪談を期待してたけど、もっと面白いハナシが聞けたからまぁいいか」と人知れず満足したのだった。

クダマツヒロシ
兵庫県神戸市出身。
幼少期から現在に至るまで怪談蒐集をライフワークとしている。
2021年に怪談語りと執筆活動を開始。23年に怪談マンスリーコンテスト「瞬殺怪談」企画にて、平山賞・黒木賞をW受賞し商業誌デビュー。24年、初の単著「令和怪談集 恐の胎動」刊行。

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