怪談語りがたり 佐伯つばさ 前編

シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
今回は臨床心理士であり、初の小説「ようこそ瑕疵ある世界へ」を刊行した佐伯つばささんのインタビューをお届けする。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)

佐伯つばさ 1992年生まれ 東京都葛飾区出身

好奇心溢れる幼少期

——佐伯さん、どうぞよろしくお願いします。まず、幼少期の頃のお話を聞かせてください。

「よろしくお願いします。僕は東京都葛飾区出身で、父、母、僕、弟の4人家族です。幼少期はというと……、親が『どうしてこんな子に育っちゃったんだろう』って言うくらい家族の中で浮いた存在でしたね」

——具体的にはどういう感じだったのでしょう?

「静かな子だったみたいですね。あまり泣かないし、電車の中で騒がしかったり、迷惑な人のことを察して見ずにいられる子だったと聞いたことがあります」

——小さい頃はどんなことに興味がありましたか?

「宇宙のこととかが好きでした。小学校1年生の頃から宇宙に関する文庫本とか図鑑を読んでいて、そこから動物にも興味を持ったりして、ずっと科学系のことに興味を持っていましたね」

——それは純粋な好奇心からでしょうか?

「そうですね。『ブラックホールっていうものがあるんだ!』みたいに、知らないことを知ることがとても楽しかったです。それを繰り返すうちに、色々な領域に興味を広げていきました」

——それは子供の頃から変わらなかったのですね。

「小学校に入る前から本を大量に読んでいました。その中には怪談の本もありましたね」

——読み物の1つのジャンルとして怪談にも触れていたということですか?

「基本的にワクワクできるものが好きだったので、ミステリーとか図鑑とか、自分にとっての未知の領域のものとして怪談も好きでしたね。もちろん、年齢相応の本を読んでいましたよ。『怪談レストラン』とか……。印象に残っているのは『学校の怪談大図鑑』みたいな分厚い本で、日本各地の体験談をまとめたような内容だったと思います」

——周りの同級生には溶け込めていましたか?

「もちろん、年相応の遊びもしていましたよ(笑)。でも、激ヤバな人間性をコントロールできるようになったのは高校生からでしたね」

——激ヤバ、ですか?

「今の自分が分析してもわからないんですけど、中学3年生の頃までは人間性のコントロールが上手くできなかったように思います。普通の子供は色々な関わりの中で『人に優しくしなきゃいけない』とか『変だと思われることが恥ずかしい』といったことを学んでいくと思うのですが、僕の場合はそういったことを学ぶタイミングがなかったのかもしれません」

——そんな中でも、好奇心が刺激されるものはずっと好きでいたと。

「僕は一度好きになったもの、ハマったものは一生好きでいられるタイプなので、そういう意味では幼少期から変わっていませんね」

心理学と怪談

——つばささんといえば「心理学と怪談」というワードが浮かぶのですが、心理学にはいつ頃から興味を持ったのですか?

「中学1年生の頃です。色々な本を読んでいる最中に心理学に出会いました。明確に『心理学を学ぼう』と決めたのは中学3年生の時でしたね」

——興味を持ったジャンルが数ある中で、どうして心理学を学びたいと思ったのでしょう?

「『人が考えていることはわからないな』と思ったことが入り口だったような気がします。最初は専門書を読んだのですが、さっぱり意味がわからなかったんです。そこで心理学を扱った松岡圭祐さんの『千里眼』シリーズを読んで、少しずつ興味を深めていきましたね。だから『心理学と怪談』というところでいうと、『心理学は勉強、怪談は趣味』といった感じで接していました」

——つばささんの話を聞いていると、好奇心を満たすものとして怪談に触れていたような印象を受けたのですが、「怖い」という感情は持ち合わせていたのですか?

「もちろんです(笑)。怪談を聞いて怖いと思いますよ。そもそも僕は昔から、ホラー系の映像を観るのは苦手ですし……」

——過去に印象に残った怪談は何でしょうか?

「『人志松本のゾッとする話』ですね。大好きでいつも観ていました。どの話の強烈で、特に國澤一誠さんのアパートの話が印象に残っています」

——怪談収集はいつスタートしたのですか?

「怪談関係の本を読み重ねるうちに、ある種の定型というかフォーマットに沿った話が多いと感じてしまったんですね。そんな時期に親戚のおじさんが怖い話をしてくれたんです。それが聞いたことがない種類の話で、『人から聞いたほうが怖い話に出会えるな』と思うようになったんです。それから色んな人に怖い話を尋ねるようになりましたし、中高生になると友達と集まって怖い話をしていました」

——聞き集めた怪談を初めて人に披露したのはいつでしたか?

「小学5年生の時の林間学校で肝試しがあって。開始前に校長先生が怖い話をしたんですが、僕が知ってる話だったんですよ。途中でオチがわかっちゃって(笑)。でも、同級生の女の子が怖がって泣いちゃったんです。それを見て悔しくなって。その子に『校長先生がしてくれた話は有名で、泣くようなものじゃないよ』って言ったんです。それで僕が知っている怖い話をしてあげたんですよね。そうしたら、『つばさとは肝試しに行きたくない』ってなっちゃいました」

——なかなか苦い怪談語りの原体験だったわけですね(笑)。

佐伯くんとの思い出

——少し本筋から逸れるかもしれませんが、つばささんはなぜ「佐伯」という名前にしたのでしょうか?

「大学時代の友人が関係しているんです。僕は大学生のとき、複数の大学が合同で行うイベントやサークル活動にも参加していたんです。そこでしょっちゅう飲み会があって、知っている怖い話を披露し合ったりしていましたね。ただどこかで聞いた話だったり、ネット怪談をそのまま話す人もけっこういて。その都度『元の話と全然違うよ』みたいなツッコミを入れていたんですけれど、僕は自分で収集した話をしていました。僕がツッコミを入れた相手だったり、周囲の人からは『あんまり怖くないね』と言われることが多かったのですが、その中で唯一『君の話、面白いね!』って言ってくれたのが佐伯くんだったんです」

——大学時代のお友達が佐伯さんだったわけですね。

「そうです。彼は他の大学だったのですが同級生で、怪談好きの男でした。それから仲良くなって、『俺たちでYouTubeチャンネルをやろう』という話になったんですよ。僕は元から怪談を集めていましたし、佐伯くんも集め始めたんです。そこに、僕と佐伯くんが不得意だったパソコン、ウェブに詳しい友人が加わって、3人でYouTubeを始めようとしたんです。でもその矢先に……」

——矢先に?

「佐伯くんが大学を辞めなければならないくらい体調を崩してしまったんです。当然、YouTubeチャンネルの話も頓挫してしまって。自分が集めてきた怪談を表に出す機会がなくなりましたね」

——なるほど……。

「ただ、佐伯くんが体調を崩した経緯が少し怪談っぽくて。どうも『障る』系の話が関係している可能性があったんですよ。それで色々考えた挙句、佐伯くんが集めた怪談を受け継ぐことにしたんです。彼の話は興味深いものが多かったですし、例の『障る』話も、僕が語り広めることで佐伯くんに降りかかった呪いのようなものを軽くできるかもしれないと納得させて、その代わり佐伯くんの集めていた話をもらう契約をしました」

——佐伯くんとは今でも親交が深いのですか?

「今はほとんど連絡を取らなくなってしまいましたね。怖い話を聞くということから離れてしまったみたいです。彼、何をしてるのかな……」

後編となる次回は、佐伯さんの怪談活動スタート、単著の執筆に関するエピソードなどを紹介したい。

インタビュー後編は近日公開予定

リンク
ようこそ瑕疵ある世界へ(サンマーク出版)
おてつば村(YouTubeチャンネル)

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