こんな話を聞いた。
岡山県出身のAさんという男性が小学生の頃の時分。
今から数十年も前のことだ。
彼が育ったのは山深い地方で、毎日のように友達と野山を駆け回っていたという。
その日もいつものように仲間と遊んでいると、ふいに大雨が降り出した。
周りに木立も大きな樹もなく、このままではずぶ濡れになってしまう。
どこかに雨宿りのできる所はないか——そう考えた時、ふとすぐ近くに小さな神社がある事を思い出した。
仲間と連れ立って神社へに走るのだが、もうすぐ神社に着こうかというところで、手前の参道に人だかりが見えた。
足を止め、よくよく目を凝らすと、人々は黒の紋付きや白装束などを身にまとい、奥には角隠しを付けた女性の姿も見える。
どうやら和風の結婚式のようだ。
まだ幼く結婚式を実際に目にするのが初めてだったAさん達は、興味津々で雨宿りなんてまるでどうでも良くなってしまって、やがて神社に向けて行列をなして歩き始めた人々の後をこっそり付いていく事にした。
参道を神社へとゆっくりゆっくりと進む花嫁行列——その後を物陰に隠れながら好奇心に頬を染めた子どもたちが続く。
そのうちに、Aさんはふと妙なものに気付いた。
行列の人々の頭の上に、白いモヤのようなものがゆっくりと浮かび上がってきたのだ。
なんだ? ゴシゴシと目を擦って再び確認するが、モヤは消えるどころか次第にその濃さを増してゆき、その輪郭を明らかにしていく。
その正体がわかった時、Aさんは息を飲んだ。
(狐だ!!!)
真っ白い毛に覆われた三角形の耳がぴょこんと、行列に並ぶ全員の頭に生えていたという。
信じられない光景に蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの家に逃げ帰った後、母に先程の顛末を息せき切って説明すると、
「何言ってんのよ。あそこは随分前から廃神社よ。そんなとこで結婚式する人いるはずないでしょ」
と言われたのだそうだ。
Aさん達は「狐の嫁入り」を目撃してしまったのかもしれない。
この「狐の嫁入り」という言葉、皆さんはどういう意味で使われるだろうか。
雲ひとつない晴れなのになぜかパラパラと雨が降ってくる——いわゆる「天気雨」の事をそう呼ぶのだと、私は幼い頃、母に教わった。
不可思議な現象に風情のある表現がぴったりで、てっきり全国で一般的な表現なのだと思っていたが、意外とそうでもないらしい。
以前とある方がXで公開したアンケート調査によると意外と分布に地域差があるらしく、また、21年のウェザーニュースの記事によれば、
「晴れているのに、雨が降るときの表現は?」というアンケート(中略)の結果、全国では「天気雨」が54%、「狐の嫁入り」が44%と、「天気雨」が多数派でしたが、地域別でみると関西では「狐の嫁入り」が83%と圧倒。
(2021/07/16 12:00 ウェザーニュース)
北陸でも関西に近い福井・石川県が70%以上、東海・中国でも60%前後と、他の地域に比べて明らかな差が見られました。
とあって、全国的な使用率にはどうも半々くらいの割合らしい。
関西から中国に多い理由は、「狐の寒施行」という冬期に野生の獣に施しをする行事が盛んだったり、伏見稲荷のお膝元であることから狐が馴染みが深いものであったからではないかと言われている。
ちなみに「天気雨」の他に「狐の嫁入り」にはもう一つの意味がある。
夜の山にふらふらと列をなして並ぶ「狐火」のことである。
実際、現在の北区にあたる江戸の豊島村には「豊島七不思議」というものがあり、この怪異が記録されている。
まさかそんな近くで「狐の嫁入り」が行われていたとは!
可能なことならぜひとも現代においても都内で婚礼を実施してほしいものである。
狐用婚礼プランとしては、昼挙式が天気雨で、ナイトウエディングは狐火ということなのだろうか。
しかしながら、夜の華やかな提灯行列に対して、人間なら晴れていてほしい昼挙式に雨を降らせるとは一体どういう訳なのか。
一説によると、狐の嫁入り行列は人間に見られてはいけないそうで、幻術で実際には存在しない雨を降らせ、人々が雨を逃れて屋内に入った隙に行列を通過させるらしい。
激しい雨は行列を隠す目くらましにもなる。
だから天気にもかかわらず雨が降るのだという。
ということは、である。
冒頭のAさんが目撃した狐達は、人間に見られないように雨を降らせたにもかかわらず、その結果として、雨宿り先を求めた子どもたちを本丸である結婚式会場に呼び寄せてしまうという大失態をやらかしていた事になる。
こちらを覗く子どもたちの存在に彼らが気付いていたのかいないのか、それはわからないが、いずれにせようっかり者の狐達であったことは間違いないだろう。
はおまりこ
幼少の頃より妖怪や不思議なものが大好き。怪談最恐戦2023への挑戦をきっかけに怪談語りを始める。民俗学オカルトがテーマのZINE「怪異とあそぶマガジン『BeːinG』」も制作。普段は演劇やミュージカルの広告ビジュアル等を制作するグラフィックデザイン事務所をしながら、大型犬サモエドのソラン(♂)と暮らす。