2024年、民家で上演されたホラー作品『現像』で、鮮烈な怪談表現を生み出した演劇ユニット「富山のはるか」の演出家・松尾祐樹。
3月8日(土)から再演される『現像』と、並行して上演される新作『空洞』を準備する彼に話を伺った。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)

激動の学生時代
——松尾さん、どうぞよろしくお願いいたします。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
——まず、ご出身はどちらでしょうか?
「神奈川県横浜市です。両親と僕、弟の4人家族ですね」
——幼少期はどのようなお子さんでしたか?
「小学校の頃は、休み時間になると僕の机にみんなが集まってくるくらいイケイケでした。だけど、ある日友達に『松尾くんって怒っても怖くないよね』って言われたことがあって。それをきっかけに『僕はそれほど吸引力がないんだ……』って思うようになって、それからおとなしく生きようと思うようになりましたね」
——中学時代はどうでしたか?
「中学校に上がるときに父の仕事の都合で引っ越しをして、そこで一気に自分のヒエラルキーが崩れて、新参者としての生活が始まったんです」
——どちらに引っ越したのでしょうか?
「中国の上海です」
——なるほど。海を越えた場所での生活が待っていたわけですね。
「そうなんです。いきなり外国の日本人学校に入ることになって……。その学校は人がすごく多くて、1学年に生徒が大量にいました。単身赴任の家庭の子ばかりで、半年くらい経つとクラスメイトのほとんどが入れ替わっていました」

——その頃に興味があったことは何でしょうか?
「とにかく映画を観まくっていました。衝撃を受けたのが劇場で鑑賞したサム・ライミ版の『スパイダーマン』で、そこから『死霊のはらわた』を観たりして、ホラー映画が好きになりました。実は僕、小さい頃から怖いものがとにかく苦手で、特にJホラー的なものを避けて通っていたのんです。でも『死霊のはらわた』はめちゃくちゃハマりました」
——ちなみに、松尾さんのオールタイムベスト映画は何でしょうか?
「難しい……(笑)。『死霊のはらわた』は入るとして……、あとはテリー・ツワイゴフ『ゴーストワールド』ですね」
——中国にいた頃の生活で、印象的だった出来事は何でしょうか。
「中学1年生のときに反日デモがあったんです。通っていた学校にペイント弾が撃ち込まれたり、住んでいたマンションから外を見ると、日本車が燃やされていたりしましたね」
——身の危険を感じましたか?
「いえ、必要な時以外は家から出ませんでしたし、周りの中国人はみんな優しいということを知っていたので、そのあたりは安全でした」
——中国で過ごした中学時代の3年間は、松尾さんの人生の中でどのような位置づけでしょうか?
「社交性を失った3年間だったと思います(笑)。心を開かなかった時期でしたね。仲良くしていた人がすぐいなくなってしまいましたし……」
——高校入学のタイミングで帰国したのでしょうか。
「はい。高校に入ってから演劇部に所属しました」
——なぜ演劇を選んだのでしょう?
「僕は機械が苦手なんです。そこで『人力でできるものはないかな』って探していたら演劇に出会ったんですよね。それから日本大学芸術部(日芸)の演技コースに進学しました。そもそも日芸に入りたくて、その付属高校に入ったんですよ。もちろん、日芸に入ってからも演劇をやっていました」

本格的な演劇の世界へ
——日芸に進もうと思ったきっかけは?
「爆笑問題さんです。子供の頃からテレビで『爆チュー問題』を観ていたこともきっかけになった気がします」
——なぜ演技コースだったのでしょう?
「特に明確な理由はなかったのですが、入って1カ月ほどで教授から『お前は役者に向いていない』と言われて、裏方のほうに進んだ感じですね。それから脚本を書いたり、演出したりってことをするようになりました」
——どんどん演劇人になっていったと。初めて観た舞台は覚えていますか?
「2009年の『その夜明け、嘘。』という、宮崎あおいさん主演の3人芝居でした。それが本当に面白くて影響を受けましたね。1人10役くらいやったり、四畳半から始まって最終的には自転車で宇宙に行く、みたいな話なのですが、『演劇って何でもできるんだ』ということに気付くことができました」
——大学時代から劇団を立ち上げて活動していたのでしょうか?
「友達とコメディ劇をずっと作っていました。一緒にやっていた人達がお笑い好きだったから、自然とコメディに向かったのだと思います」
——大学卒業後はどのように活動をしましたか?
「大学院に行きながら、映像のオペレーションの仕事をしていました。『演劇をやりたいなら演劇の仕事をしたほうがいいんじゃない?』という感じで紹介してもらって。そうやって、演劇と関わりながら生活をするようになりました」
——生まれて初めて書いた劇のことは覚えていますか?
「僕は出演していないのですが、女子高生2人が放課後にダラっと話しているだけの劇です。何も起こらない話でしたね」

「富山のはるか」から「現像」へ至る道
——演劇ユニットである「富山のはるか」が生まれたきっかけを教えてください。
「大学時代からずっと一緒にコメディ劇をやってきた仲間の役者の2人がコンビを組んでお笑いをやることになって劇団を抜けたんです。それがきっかけで、新しい団体と作ろうと。そうして立ち上げたのが『富山のはるか』です」
——名前の由来は何でしょう?
「元々作家が別にいまして、彼が付き合っていたのが富山県のはるかちゃんだったんですよ。それだけです」
——かつていた仲間の恋人の名前だけが残ったという(笑)。
「彼は実家へ帰ってしまったので、今でも『富山のはるか』という名前で続けるかどうかを悩んでいるんですよ。だから『現像』の公演のときも、あえて『富山のはるか』の冠は付けていないんです。事実、『現像』からは僕が作劇と演出の両方をしています」
——「富山のはるか」は現状、何人で活動されているのですか?
「実質、僕ひとりですね。毎回客演を呼んではいますが、ひとりで身軽にできるプロジェクトにしたいなと思っていて。だから照明も音響もない民家で、演者もひとりというスタイルでやっています」
——「富山のはるか」名義の作品はいくつあるのでしょうか?
「7本ですね。『構成演劇』というジャンルがありまして、それをやっていました。かいつまんで言うと、スケッチ集みたいな感じです。構成演劇に関してよく聞く例えが『およげ! たいやきくん』なんですよ。サラリーマンの悲哀のようなものを分解して、別のものに置き換えた後、最終的に『たいやきが海で泳いでいる』みたいな話になるイメージでしょうか」
——元から構成演劇をやりたかったのですか?
「僕、キャラクターを描くのが苦手なんです。事象しか書けないんですよ。起こったこと、シチュエーション……。その中で何ができるか、ずっと考えていました。キャラクターがどうというものはなく、事象で物事を伝える感覚です。でも行き詰まってしまい、作家は実家に帰ってしまいました。それで『ひとりでやるしかない』と思いました」

——ひとりでできる範囲のものとして「現像」が生まれたわけですね。「現像」は実話怪談の肌触りが非常に濃い作品だと思うのですが、なぜそれをやろうと思ったのでしょうか?
「かつて、あるワークショップで怪談作家の高田公太さん、蛙坂須美の話を聞いて、それが本格的な実話怪談との出会いになったと思います。その影響もあり、一人芝居を作ろうとしたときに実話怪談的な要素を引用しようと考えました」

——「現象」が生まれたきっかけは何だったのでしょうか?
「『現像』のひとつ前にやったのが2022年の『バーン・ザ・ハウス』という劇でした。とにかく僕が好きなことをやろうと、スプラッター的な王道活劇を作ったのですが、あまり上手くいった感触が掴めなかったんです。ケレン味を出すのも、キャラクターを描くのも下手だったんですね。自分の弱点を再認識しました」
——それで実話怪談的なエッセンスを入れようとしたのでしょうか?
「次に何か劇を作ろうとしたときに、『バーン・ザ・ハウス』でやろうとしたことを削っていこうと考えたんです。そうしたら『キャラクターがない人物が話すのは気持ち悪いな』とか、『この人は何を考えているんだろうっていう人がずっと舞台上にいたら気持ち悪いな』というふうに思ったんです」
——なるほど。
「それに『僕がキャラクターを描かなくてもいいんだ』とも思ったんですよ。舞台の上には俳優さんがいて、その人の解釈でキャラクターを表現してくれますからね」

——「現像」に出演された丸山港都さんとの付き合いは、いつからなのでしょうか?
「『バーン・ザ・ハウス』に出演してもらったのが最初です。そこで彼が怪談好きだということを知って、『一緒に怪談のイベントをやってみようか』という流れになったんですよ」

——怪談については、丸山さんがきっかけで本格的に興味を持ったのでしょう?
「そうです。丸山さんと知り合ってから怪談本を読むようになりました。でも怖いんで、昼間しか読めないんですよ(笑)。個人的には、本が一番怖いと思っているんです」
——3月に行われる「現像」の再演は丸山さんが?
「はい。新作の『空洞』には丸山さんが再び出演しますし、南風盛もえさんという女性の俳優さんも出演します。稽古を観ていても面白い演技をされて、本番がとても楽しみですね」

——「現像」は舞台である家が非常に印象に残る作品だと思うのですが、あの場所はどのようなきっかけで見つけたのでしょう?
「制作に関わっていた映画のロケハンで見つけたんです。映画では使われなかったのですが、いずれ何かで使いたいなと思っていました」

——「現像」はロケーションありきで構築された劇なのでしょうか?
「そうです。『この空間で何ができるか』ということを突き詰めて考えました。本当に助けられましたね。新作も同じ作り方をしました」

——いわゆる「実話怪談的」なものを表現するときに、松尾さんがこだわった部分はありますか?
「完全にその場にあるものだけで恐怖を表現した、ということでしょうか。あまり詳しく話すとネタバレになるので、ぜひ再演を観ていただきたいです(笑)」

——この3月に毎週再演と新作を上演されるわけですが、どのような意図があったのでしょうか?
「公演を長期的にやりたいという思いがありまして。演劇って再演が少ないジャンルでもありますし、多くの方に覚えてもらえるまでは、しばらくこのスタイルを続けていきたいと思っています」
——改めて、松尾さんの公演の見どころを教えていただけますでしょうか。
「お芝居を鑑賞するというより、体験するという表現が合っていると思います。それが演劇の楽しみですし、怪談が好きで演劇はあまり観たことがない方の入り口にもなると思います。そしてぜひ、丸山さんと南風盛さんのパフォーマンスを見比べていただきたいですね」

——「現像」を拝見して、演劇と怪談の橋渡しになるような、新しく魅力的なアプローチだと思いました。再演、新作の上演を楽しみにしています。本日はありがとうございました。
「ありがとうございました」

『現像』(再演)は3月8日(土)、『空洞』は3月9日(日)から、世田谷区桜上水で。
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