怪談語りがたり 大赤見ノヴ Part II 後編

シーンで活躍する怪談語りを深堀りするインタビュー企画「怪談語りがたり」。
今回はナナフシギの大赤見ノヴさん編最終回。
改名、会社とバーの設立、今後の目標などに関するエピソードを紹介する。
(インタビュー・写真●怪談ガタリー編集部)

前編はこちら

大赤見ノヴ 1979年8月12日生まれ 大阪府住吉区出身

猛々さんの怪談最恐戦、改名

——島田秀平さんとのコラボの後、どのように状況が変化しましたか?

「チャンネル登録者数が2万人くらいまで増えて、それから『YouTubeの生配信をやってみないか』という流れになったんですよ。それで、僕らが初めて生配信をしたら同時視聴が1000人を超えたんです。これに手応えを感じた関口ケントさん(株式会社Wednesday代表取締役、ナナフシギチャンネルのプロデューサー)と話し合って『怪談動画と生配信の2本軸でいけるんじゃないか』という話になり、毎週金曜日21時から生配信をするスタイルになりました。それは現在も続いています」

——「金曜日21時はナナフシギチャンネルの生配信」という流れを作り上げたわけですね。

「そうです。戦略を練って陣地を取っていくような感じで、『もはや信長の野望やな』って思ったんですよね。自分の得意なやつだったんですよ(笑)。それから数字を見ながらコンテンツやサムネイルのことなどをじっくり考えるようになって、YouTubeの活動が面白くなったんです。そこで関口さんは『ナナフシギはやれる』と感じ始めたようで、僕らもYouTubeに軸を移すようになりました」

——その頃の猛々さんはどうでしたか?

「一緒に頑張っていましたよ。ただ、少し『自分とテンションが違うな』と思うところもあったんです。猛々さんはずっとUMA(未確認生物)関連の動画を担当していたのですが、怪談と比べて再生数が少なかった。そこで思ったんですよ。猛々さんが『怪談最恐戦』に出て活躍したら、『コンビで怪談に強い』っていう立ち位置を得られるんじゃないかって」

——猛々さんはすぐ最恐戦にエントリーしたのでしょうか?

「最初は渋っていたんです。『俺、怪談を話したことがないから無理だよ』って。そこで猛々さんが大好きな西浦和也さんにお願いして、『吉田君、最恐戦に出てみたらどう?』って言ってもらったんですよ。西浦さん、すぐ快諾してくれました」

——猛々さんはどんな反応でしたか?

「尊敬する西浦さんに声をかけてもらえた猛々さん、ふたつ返事で『最恐戦に出ます!』って言ってました(笑)。目論み通りでしたね」

——それが2021年の最恐戦だったわけですね。

「そうです。猛々さん、準優勝したんですよ(優勝は田中俊行さん)。それで怪談界での猛々さんの知名度が、一気に上がりましたね。同時に『ナナフシギは怪談ができるコンビ』として知られるようになりました。ただ、ひとつ気がかりなことがあったんです」

——それは何でしょう?

「当時、猛々さんは『吉田一人(かずと)』という名前で活動をしていたのですが、『どうもキャッチーじゃないな』という話になったんですよ。その結果、猛々さんの改名とナナフシギの今後を占い師さんに視てもらう企画をやることになりました。その流れで琉球風水志シウマさんに改名をお願いして、候補が『吉田猛々』と『吉田琉球』だったんですよ。本人はかなり悩んだ末、『猛々』を選んだんです。そして僕も、このタイミングで改名をしました」

——なるほど。この時『ノヴ』さんになったのですね。

「そうです。僕はずっと『大赤見展彦』の名で活動をしていたのですが、波乱万丈の画数だったんですよ。そこでシウマさんに相談をしたら、名前を『ノヴ』にしようということになって。『ノヴ』だけが、『大赤見』の姓に対抗できる名前だったんです」

大きなターニングポイント

——その後の活動はどうでしたか?

「2022年にYouTubeのチャンネル登録者数が10万人を超えて、猛々さんもアルバイト生活を終えることができました。コンビを組む時にした『3年以内にアルバイト生活を終わらせます』っていう約束を果たすことができたんです。僕はというと、芸歴20年に差し掛かるタイミングで始めたYouTubeで家族を養えるくらいまでいけた。だからこの先も真剣に怪談と向き合いながら、YouTubeを軸にしてやっていこうと思えるようになりました。そしてその頃、現在に繋がる大きな出来事があったんです」

——どんな出来事でしょうか?

「プロデューサーの関口さんから仲間が離れていったんです。気付いたら、周りにはナナフシギしか残っていなかった。ある日、居酒屋で関口さんに聞かれたんです。『ナナフシギは僕から離れますか?』って。僕は『こいつ面白いな。こいつと一緒にやりたいな』っていう人としか仕事をしたくなかった。だから『面白いことを関口さんが持ってきてくれるのであれば、僕らは全力で乗っかります。だから一緒に頑張りましょう』と答えました。関口さんと一蓮托生の契りを交わしたわけですね。そしてナナフシギ、関口さん、かつてADをしていた木村の4人が、現在につながるWednesdayの初期メンバーになったんです」

社長としての独立

——現在の流れに繋がる、とても大きな節目ですね。

「それからは関口さんと密に連絡を取り合うようになりました。動画の視聴数の上がり下がりを共有したりしていたのですが、同時に『ノヴさんは遠慮をしています』とも言われていたんです」

——遠慮、ですか。

「関口さん曰く『圧倒的な社長ムーブというか、トップの人間にふさわしい振る舞いを身につけてもらえれば、もっと動画の視聴数が上向くんですよね』って。どうすればいいんだろうって考えてしまいましたね。そもそもトップになることにあまり興味がなかったですし……。でも関口さんが言うことは間違っていないという信頼があったので、その頃から僕の目標が『社長』になったんですよ。それから色々と考えるうちに『事務所(太田プロ)を抜けて自分の会社を立ち上げるべきなんじゃないか』という思いが強くなっていきました」

——それが真の意味での独立というわけですね。

「ただし、事務所を辞めて単純に会社を設立するだけでは面白くない。そこで関口さんと話し合った結果、『自分たちの基地を作ろう』ということになったんですよ。怪談界隈を見渡しても、動画撮影用のスタジオを持っている人がいなかったんです。だから自分たちの本拠地となるスタジオを作って、お客さんが入れるバーを併設してはどうかと。バーを作れば、生配信のパブリックビューイングができますしね」

——スタジオ兼バーの設立を目標にしたクラウドファンディングをされていましたね。

「クラウドファンディングに関しても『協力してくれたお客さんが僕らを育てる育成ゲームをしている感覚を味わってほしい』という想いを込めたんです。みんなで作ったバーにしたかったんです」

——クラウドファンディングは大成功でしたね。

「その結果生まれたのが『怪談Barガーリック・マネー・かも~』です。そして僕は株式会社マジフシギの社長になりました。おかげさまでたくさんの人に応援してもらうことができて、本当に感謝しています」

これからの目標

——今後も収録動画と生配信の2本軸で突き進む思いでしょうか?

「そうですね。最近はロケにも行くようになったので、その動画も加た3本柱にしたいですね。僕が45歳の割に体力がかなりあるということがスタッフにバレてしまったので(笑)、僕がロケ担当になることは多いんですよ」

——他の目標はございますか?

「僕は2025年で芸能生活25周年なんです。それに伴ってやりたいことがいくつかあるので、それを実現したいですね。僕は口に出したことを実現できる人間なので(笑)、楽しみにしていてほしいです!」

というわけで全4回の大ボリュームでお届けしたノヴさんのインタビュー。
今の活動すべてに通じる「とにかく人生を楽しむ姿勢」が、その魅力的な人間力の源になっていると感じました。
芸能生活25周年の今年も、さらに新しいチャレンジで我々を楽しませてくれるノヴさんに注目です!

「ノヴさんにとっての怪談とは?」

リンク
ナナフシギ【公式】(YouTubeチャンネル)
清浄と誤怪展二。

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