【HORROR TELLER FESTIVAL 2026 特典】
「浮かない顔」 おてもと真悟
歯科医助手として働いている三十代前半の女性、真理子さんから聞いた話。
ある夏、出会いを求めていた彼女はマッチングアプリを利用して、二歳年下のサトルさんという男性と知り合った。
彼は会社員で、やり取りをしているうちに真理子さんも好感を持ち、休日に会うことになった。
互いが住むエリアから中間距離にある駅前の広場で待ち合わせをして、近くの居酒屋で食事をする約束をした。
当日。待ち合わせ時間より少し前に真理子さんが広場に到着すると、間もなくサトルさんがやってきた。
「真理子さんですか? はじめまして」
挨拶を交わしてしばらく立ち話をしたが、まだ夕食まで時間があった。
「このまま立ち話もなんだし、あそこのファミレスでお茶でもしましょうか?」
彼が目線を送った先に、ファミレスの看板が見えた。全国的に有名なチェーン店だった。
「大丈夫、割り勘だなんて言わないから!」
サトルさんのそんな冗談に笑い合いながら、ファミレスに向かった。
地下にある店内に入ると少し肌寒かった。冷房が効き過ぎているのだろうか。
席に着いてからも、真理子さんは寒気を感じた。
何かおかしい。
店の中を見渡したが、特に不思議なところはない。客はまばらで、皆普通に食事をしている。
真理子さん、写真で見るより——だね
——モテるでしょ——
メールのワードセンスもあるし——だろうな——
サトルさんの言葉がなんだか途切れ途切れに聴こえる。
真理子さんの頭はぼんやりして、意識が少しずつ謎の違和感に引き込まれていくのがわかった。
やっぱりおかしい。
サトルさんの声は、殆どくぐもったようにしか聴こえず——だんだんと聴き取れなくなった。
何?
視線——どこからか。
誰かの敵意——悪意——のようなもの。
どっち? 両方? 誰?
頭の中が混乱して、目だけを動かし周囲を見るが、誰もこちらを見ていない。
だが、刺すような鋭い視線は消えなかった。
寒気はますますひどくなり、居心地が悪かった。
耐えきれなくなった真理子さんは一旦トイレに行くため席を立とうとして、正面に座ったサトルさんの後ろのほうに視線を向けた。
薄暗い照明が灯る化粧室への通路——そこに視線の正体があった。
見知らぬ女性の顔が宙に浮いていた。色がない。モノクロ画像のような、顔だけの女。
彼女は眉間に皺を寄せ、こちらをものすごい形相で睨んでいる。
よく見るとその顔は紙のようにペラペラで、真理子さんが視線を離せずにいると、スマホの画像を指でクローズアップしたときのように、女の顔がにゅうっと大きくなった。
そしてゆっくりとこちらに近づいてきた。
真理子さんは席を立つのをやめた。
サトルさんは相変わらず楽しそうに話しているようだった。
やがて女の顔が視界の隅に入る——そこで漸くこちらの異変に気づいたのか、サトルさんが心配そうな顔をした。
「どうしたの? ずっと浮かない顔だね」
すると急に、真理子さんにある考えが生まれた。
それは頭から離れなくなり、確信めいたものに変わると、千円札を取り出しテーブルに置いて、声を絞り出すように言った。
「帰ります」
そうサトルさんに告げた。そして、
「帰ったら彼女さんとしっかり話し合ってください」
顔だけの女は——サトルさんをずっと睨み続けていた。
真理子さんは急ぎ足で地上への階段を上りながら、マッチングアプリをアンインストールした。
「ぺしゃんこ」 はおまりこ
……カリカリ……ミャー……ミャー……
背中を引っ掻く感触と微かな鳴き声に、兼人さんはふっと意識を取り戻した。
ああ、いつの間にか、タカシんちで寝てたのか。
道向かいに住む幼馴染のタカシの家には、常に複数の猫たちが暮らしている。大の猫好きであるタカシの母が、何かと理由を付けては猫を保護してくるからだ。
兼人さんはそれが少し羨ましかったという。
家で飼ってはいないが、動物は嫌いではない。むしろ好きだ。
だが当時高校生の兼人さんにはペットを飼う決定権などなく、動物との暮らしへのうっすらとした憧れは幼い頃とっくに手放していた。その代わりと言ってはなんだが、タカシの家で飼い猫たちと戯れるのが、彼の密かな楽しみだったのだ。
幼い頃からお互いの家を行き来して入り浸るうち、猫たちもいつの間にか兼人さんを「よく家にいるでかい動物」としてそれなりに認めてくれるようになった。
そのうちの一匹、気が向いた時に頭を擦り付けてくる雌猫が、最近子猫を生んだ。
さては声からして、その子猫のうちの一匹だな。
「早く起きて」とでも言っているのか、背中の上に乗っかって爪を立ててくる。
子猫の爪というのは針のように細く鋭い。厚手の服を着ていて良かったな、なんて思いながら、いじらしい感触に身を委ねる。再びとろとろと眠気が蘇ってくるが、これ以上寝てしまってはタカシに対して面目ない。そろそろ起きなければ、そう思うのだが。
体が、動かない。
いわゆる金縛りと呼ばれる状態に陥っていることに、その時ようやく気付いた。
動かせる所はないか。ぐっと目元に力をこめると、ジリジリと瞼が開いていく。
完全に開けた視界はタオルで覆われていた。どうやら、眩しくて無意識に顔に被せて眠っていたらしい。タオルの隙間から差し込む西日の方へ目玉をぐりりと動かすと、そこに見慣れた天井が見えた。
おかしい、この天井は。この部屋の景色は。
ここは俺の部屋だ。
そう思うと同時に、視覚刺激を得た意識は、動かない身体に反して急速に覚醒へと向かい、兼人さんに一つの違和感を気づかせた。
金縛りで強張った背中はベッドに隙間なくぴったりと張り付いている。
つまり、俺は、うつ伏せじゃなくて、仰向けに寝ている。
それなのに。
……カリカリ……ミャー……ミャー……
背後ではずっと子猫が鳴き続けている。
この子猫は、一体何処にいるんだ?
じっとりと脂汗が全身に吹き出す。
……カリカリ……ミャー……ミャー……
先程まで可愛らしく思えていたその必死さが、恐ろしさに反転する。声も発せず、静かに狼狽する兼人さんをよそに、子猫は延々と鳴きながら爪を立て続けている。
ふと、その声と感触が背中の中程から上へと移動しはじめた。背中とベッドの隙間の存在しない空間を這うように、じりじりと首元に気配が迫る。
これ以上上がってきたらまずい。
そう本能的に感じて、兼人さんは祈るように体をめちゃくちゃに動かした。
ピクリ、と足の指先が動いて、そこから糸が解れるように金縛りが解け、全身が汗だくで起き上がった時には、嘘のように子猫の気配は消えていたという。
釈然としない思いを抱えたままその日を終えて、翌日タカシの家に行った兼人さんは、タカシとその母に昨日の顛末を話したそうだ。
「ってことがあってさあ、めっちゃビビったんだよ!」
なんだそれ、と笑い飛ばしてもらえるだろうと努めて明るく放った言葉が、空々しくリビングに響く。妙な間に思わずタカシを見るが、彼は軽く目を見開いて、それから笑いもせずに「そっか」と目を伏せた。いつもと明らかに様子が違う。戸惑って声をかけあぐねていると、タカシの母が困ったように微笑みながら昨日起こった「事件」を教えてくれた。
それはちょうど兼人さんが金縛りに遭った夕方頃だったという。
夕飯の準備で慌ただしい時分だったからだろうか。少し目を離した隙に、やんちゃ盛りの子猫のうちの一匹が、玄関の外へ誤って飛び出してしまった。
そこに、運悪く車が通りかかった。
「可哀想にね、轢かれて、ぺしゃんこになっちゃったの」
声を詰まらせながらそう話すタカシの母の目は、真っ赤だった。
おまえ、俺にお別れを伝えて欲しかったのか?
それとも痛みや悲しみを誰かに分かってほしかったのか?
それにしても、ぺしゃんこになったからって、わざわざ背中とベッドの隙間に入って驚かせなくてもいいじゃないか。
兼人さんは庭の隅に埋められた子猫に手を合わせながら、そう語りかけたそうである。
「星占い」 ホームタウン
礼子さんの周りには、なぜか「誕生日が同じ人」が多い。
父親と親友、そして会社の上司が、揃って五月二十八日生まれ。
母親と従兄弟が、八月十五日生まれ。
祖父と叔母の旦那さん、そして姪っ子が、十二月十二日生まれ。
偶然にしては出来過ぎているが、叔父さんと妹の彼氏もまた、同じ山羊座の同じ誕生日だった。
ある休日のこと。
実家に帰る前に立ち寄った美容院で、礼子さんは何気なく手にした雑誌の星占いページに目を留めた——山羊座の運勢『一攫千金のチャンス』。
その日の夜、実家にいた叔父さんに雑談交じりでその話をすると、「その占い当たってるぞ! 俺、今日駅前のパチンコ屋で大勝ちしたんだ」と本気で驚かれたという。
さらに数日後、妹から「彼氏が宝くじで高額当選した」と弾んだ声で連絡が入った。その賞金を元手に、念願だったラーメン屋を開業するのだと喜んでいた。
それから何年か経ったある日。
購読していたテレビ雑誌の星占いに、ふと目が留まった——山羊座のアナタ『人生の転機が訪れそう』。
ちょうどその時期、叔父さんは仕事でトントン拍子に出世して本社勤務が決まり、妹は彼氏からプロポーズされて結婚が決まった。
そして、数年が過ぎたある朝のことだ。
母親から泣きじゃくる声で電話がかかってきた——叔父さんが寝タバコの不始末による火災で焼死した、という報せだった。
その瞬間、礼子さんの脳裏に嫌な予感が走った。
妹夫婦のことと、星占いの存在が同時に浮かんだのだ。
慌てて妹に電話をかけたが、出ない。
焦燥感に駆られながら、部屋のマガジンラックにあった雑誌の星占いページを引っ張り出すように開いた——今週の山羊座『火の用心』。
心臓の鼓動がうるさくなるのを感じていると、妹から着信があった。
旦那が、店の仕込み中に事故で亡くなったのだという。
礼子さんは思わず声を詰まらせた。
「事故って……もしかして、火事なの?」
「ううん……スープの仕込み中、ガスの種火が消えてるのに気づかなかったみたいで……」
火事には至らなかった——だが、漏れ出たガスが静かに命を奪っていた。
礼子さんはもともと、スピリチュアルや占いの類いは一切信じない現実主義の人だが、取材の最後に青ざめた顔でこう呟いた。
「星占いだけは、もう怖くて絶対に見られないんです」
「禁書」 沫
母屋の裏手にある旧家屋をとうとう取り壊しにすると言う。
話に拠ると築百五十年を越えているらしい。もはや倒壊が怖くて家族の誰もが入らなくなった家である。取り壊しの話は当たり前の事だった。
するとにわかに、引き籠もり気味の姉が焦りだした。どうしたのかと聞けば、旧家屋のどこかに大切な物をしまっており、取り壊しの前にそれを見つけ出したいのだと言う。
仕方無く僕は姉を手伝う事にした。
旧家屋へと入る許可は、姉が取り付けて来た。ある休日の朝、僕は姉と一緒に立て付けの悪い玄関の戸を開けて中へと入った。
「一体いつ、どこに隠したんだよ」と聞けば、「場所は大体分かってる」と姉。しかも姉の言う事には、僕が生まれる前は当たり前のようにここで暮らしていたらしいのだ。
正直、あまり良い気分ではなかった。なんとなくだがまだ人の息吹が感じられるような気がして、肌が粟立つのだ。
家屋の中にはまだ家財道具が至る所に置かれてあった。それが余計に不気味に感じられる。
姉はどんどん奥へと進んで行き、とある部屋の前で足を止めた。姉曰く、かつては祖母の寝室であったらしい。今では寝たきりの祖母ではあるが、その頃はまだとても元気であったと言う話だ。
開けて見れば、そこには古びた木箱や壺に混じり、大きな長持が一つ置かれていた。
なんとなく嫌な予感がしたが、姉が言うにはまさにその中に探し物があると言う。仕方無く僕がそれを開けると、中には古い着物や帯と共に、掛け軸だろう沢山の巻物。そして油紙に包まれた〝何か〟が無造作に突っ込まれていた。
「これ」と、姉は指差す。僕は姉が指摘するままにその巻物を一本取り出すと、懐中電灯の明かりの下でそれを広げてみた。
だが、そこには何も書かれておらず、ただ白紙のまま。僕はまた一本を取り出すと、それを広げてみる。だがやはりそれにも何も書かれてはいなかった。
計四本、僕は巻物を広げた。いずれも全て白紙であった。
「これが必要だったの?」と問えば、姉は「違う」と言って、油紙に包まれたものの方を指差す。
「こっちよ」とは言うが、どうにも姉の顔は満足そうな笑みがあった。
僕はその油紙の包みを取り出し、「一旦出よう」と姉をいざなう。そして母屋へと帰り、その包みを広げてみた。
中に入っていたのは手紙だった。但し宛先の無い、無地の封筒に入った手紙であった。
僕はその中身を取り出して眺めてみるも、あまりにもその文字がされていて、まるで読む事がのだ。
仕方無く僕はその手紙を大学の講師の元へと持ち込んだ。古文を専門としている講師が一人、いるからだ。
同時に僕は保険で、その手紙の全容を写真に収め、SNSやネット掲示板等に掲載をした。読める方、是非お願いしますとコメントを添えて。
さてその翌日。手紙を渡した大学の講師から呼ばれて行ってみると、講師はとても困った顔をして、「申し訳無いが読めない」と、その手紙を返して寄越したのだ。
「難しかったですか?」と聞けばそう言う訳ではないらしく、「見れば分かる」とその中身を僕にあらためさせた。
驚いた事にその手紙はひどい虫食い状態となっており、指で触れただけでも千切れて落ちてしまうぐらいになっていた。もちろん、読むどころではない。広げる事すらも不可能なレベルだったのだ。
「大丈夫です。事前に写真を撮っています」と、僕はSNSにアップした写真を広げようとする。だが——
『解読出来た』と、SNSにはそんなコメントが寄せられていた。同時に、『悪戯でないならば写真をすぐに消せ』とも。
そのコメントを寄せた本人からは、個人宛のメッセージが届いていた。講師と共にそれを読めば、『大雑把に内容を説明する』と言う冒頭から、とても複雑で怪奇な内容の文章がそれに続いた。
——絵師と祈祷師の尽力によって、この家に祟り出る亡魂四十三体を絵に封じた。
絵巻物は決して封印を解かぬ様。そしてこの内容は決して他言せぬ様。
それが解読された文章の内容の全てであった。
「多分、君がインターネットにそれを上げちゃったから、僕に渡した方の手紙がこうなっちゃったんじゃないかなぁ」とは講師の言葉。そして僕はすぐにその場で写真を消した。
家に帰ってその件を家族に話せば、父は驚いた顔をして、「倒壊の危険性があるのに、何でそんな危ない真似をした」と聞く。そして僕が、「姉さんが旧家屋に大切な物があるって言うから」と答えると、家族は全員で、「姉さんって誰?」と聞くのだ。
いや姉は姉だろう——と言い掛けて言葉を飲み込む。思えば僕には姉などいない。いた試しが無い。ではあの時、僕が姉だと思い込んで一緒に旧家屋へと侵入した人は一体誰だったのだろう。
その後、僕は父と一緒にもう一度旧家へと向かって例の絵巻物を全て持ち出した。
父にそれをどうするのか聞けば、母屋の倉庫に入れて保管をすると言う。
「亡霊だか妖怪だか分からんようなものが封じられている巻物、どうして保管なんかするんだ」と聞けば、「誰にも開けられないようにする為だろう」と言い返された。
そうして巻物の全ては無事に引っ越しが終わり、再び長い眠りに就いた。もちろんあれっきり、〝姉〟であった人の姿は見ていない。
果たしてあの姉はどこから来て、どこへと消えたのか。そこまで知る由は無いのだが、少なくとも僕のせいで四本分の絵巻物が解かれ、そしてその事を不特定多数の人に語ってしまったと言う事だけは事実なのである。
どうでも良いが、あの日以来、部屋で寝たっきりだった祖母の姿も消えてしまった。
お察しの通り我が家に祖母が存在していたのは僕が生まれる以前の話であり、消えてしまった祖母についてはやはりどこの誰なのか良く分からないのである。















